核廃絶から戦争廃絶へ 2007/9
夏が終わると戦争の問題もマスコミからは姿を消していく。しかし、戦争の廃止を真正面から書いてある憲法九条を変えようとする勢力が今の自民党を支配しているゆえに、今後もずっと戦争と平和のことは大きな関心事となり続けるであろう。
日本においては、とくに六月から八月にかけて、戦争の悲惨さを思い起こすが、それ以前の三月には、一九四五年三月一〇日の東京大空襲のことが語られる。深夜にB29と言われる爆撃機三〇〇数十機が来襲し、およそ八万〜一〇万人近いと言われる多くの人たちが焼け死んだ。これは、無差別攻撃であって戦闘員、非戦闘員を問わず、また病人、子供、老人など関係なく大量に殺害し、日本の国民や軍部、指導者たちの戦争を続ける意志を粉砕するためであった。
とりわけ、沖縄での地上戦にて二〇万人近い人々が死んだということ、またそれに続いて広島や長崎に原爆が投下され、広島では十四万人、長崎で、七万四千人…その他、大阪、横浜、神戸といった大都市も軒並み空襲を受けて、ただ一日の空襲で、三千人から四千人といった人たちの命が失われていった。交通事故などでもわかるように、傷を負った人たちは、死者よりはるかに多い。死者がこれほど多いということは、手足の骨がおれたり、目や内臓が傷ついたといった人たちは数知れない。そして家族が失われて生活もままならず、病気もなおせないといった人たちは無数に生じていっただろう。
しかも、これは、日本のことであるが、日本が中国を中心としてアジア諸国に行なった戦争によって、十五年ほどで二千万といった人たちが殺されたと言われる。日本人の死者は、三百万人ほどであったことと比べるなら、はるかに多くの人たちが日本の攻撃によって殺されたことになる。
このように、戦争はおびただしい犠牲者を生み出していく。
現政権の最重要課題とは、拉致問題である、ということが繰り返し言われてきた。しかし、戦争とは無数の人たちを拉致よりはるかに重い罪である殺害することであり、しかも一〇人、二〇人といった人たちでなく、何万、何十万といった人たちが一日の爆撃で殺害されるような恐ろしい悪である。
それゆえ、本来は、平和憲法を持つ日本として世界に旗印を掲げるべき最重要課題は、平和憲法を維持していくことなのである。
以前に防衛大臣が、「原爆投下はしょうがなかった」と言って辞任せざるをえなくなったことがある。 いかなる状況のもとでも、あのような無差別的な爆弾は許されないのであって、しょうがなかった、という発想では、状況によっては核兵器を使うことはしょうがない、ということになり、それでは、戦争状態にある国が核兵器を使うことを認めることと同じである。
これだけ危機的な状況だから、核兵器を使うこともやむを得ない、ということなら、戦争を始めた国はなんとしても勝ちたいのであって、ことに負けそうになってくると正常な発想ができなくなり、核兵器でも何でも使いたくなる。
かつて日本の軍部が大々的に負けているのになお、大いなる勝利をあげているなどと、嘘を公然と発表していたような虚偽をも平気で言うようになる。
それゆえ、核兵器はどんな状況でも使ってはならない、というのは当然のことである。
しかし、そこで終わってしまうことが多い。毎年の八月の初旬になると、核兵器廃絶ということは繰り返し言われるし、平和宣言とか学校の児童生徒たちにもそのような平和を願う文を朗読させたりする。
しかし、核兵器は戦争のときに使われるのであって、本当に核兵器廃絶という願いがあり、平和を求めるのなら、戦争廃絶と言わねばならないはずである。
そして日本の憲法第九条は、まさにそのために作られている。それゆえ、核兵器廃絶という主張はそのまま、戦争廃絶となり、それは、いかなる戦争にも加わらないとする平和憲法につながるのである。
核兵器廃絶、平和を望むといいながら、憲法を変えて軍隊を正式に持って、他国がアメリカ艦船への攻撃をするなら、それを迎え撃って攻撃するなどといった、集団的自衛権を行使できるように変えるということが公然と主張されるようになっている。
しかし、このように、自分の国が攻撃されていないのに、同盟国への攻撃を自国への攻撃とみなして、戦争に加わっていくなら、相手国はすぐに日本にも攻撃を始めるであろうことは容易に考えられる。
こうした方向は日本の戦後の特に重要な国家的方向を根本から変えてしまうことになる。それがどれほど大きい変化になるかは、現在の戦後生れの者は実際に感じられないという人が大多数を占めているから、安易に憲法を変えようとする方向に流されている。
先の防衛大臣の「原爆はしょうがなかった」という発言だけが悪かったように言われている。それはなぜか、「戦争はしょうがなかった」で済ませることができると考えているからである。原爆はしょうがなかったという発言が間違っているというのは大多数の人が一致する。しかし、原爆で殺害された数十万より比較にならない数千万という人たちを日本人は中国を主としてアジアの国々に対して殺害してきたのである。原爆が一度に大量に殺戮するからいけないというが、それなら十五年にわたって徐々に殺害することは認められるのか、ということになる。
そんなことはあり得ない。そもそも何の関係もない人たちの命を奪ったり、傷つけたりすること自体が間違っているのである。そうした最大の悪事が戦争であるからこそ、そして戦争はしょうがなかった、で済まされないからこそ、太平洋戦争のあとで、平和憲法が作られたのである。
だから、単に核兵器廃絶にとどまっていてはいけないのであって、そうした核兵器を使う状況である戦争そのものを廃絶すべきなのである。