休憩室 2007/9
○鋼鉄とすみれ
先月号で紹介した、「真白き富士の根」という歌の作詞者であった、三角錫子は、常磐松女学校の創設者でしたが、彼女がその学校のことを、小さな風呂敷にたとえ、「なにとぞ小さくともその中にしっかりとした鋼鉄に、一輪のすみれの花を添えて包んでいってほしい」とその自伝に書いているということです。
(「唱歌・童謡ものがたり」岩波書店刊 九九年 二七五頁 )
この三角の言葉は、現在も彼女が創設した学校のホームページのはじめに 「鋼鉄に一輪のすみれの花を添えて」と、スミレのイラスト入りで書かれています。三角は若くして両親を失い、四人の弟を育てる義務を負ったことからはじまって若い時からの苦労に満ちた人生は、鋼鉄のような意志を持ちつつ、そこにスミレのようなうるわしさを持って生きようとしたからだと考えられます。
聖書の世界はこの鋼鉄のような強靱さと野の花のような優しさを兼ね備えていると思われます。
神は詩編でしばしば岩にたとえられていますが、それは、神の真実や、正義、愛もいかなる状況によっても揺らぐことのない強固な本性を表しています。
そしてそのような神に結びつくとき人間もまたそうした強さを何らかの形で与えられるわけです。それが聖書にあらわれる人物です。
そして同時に、聖書は罪深く心身共に弱い私たちを包んで下さる愛といううるわしさを深くたたえています。
○明けの明星
最近、夜明けの東の空に明けの明星(金星)がそのすばらしい輝きを見せています。 午前四時すぎには、東から上ってきます。長い間、木星が夕方には南に見えていましたが、現在でも南西の空に低くなって見えています。恒星は分かりにくいのですが、木星や金星は、その強い輝きのためにはっきりと見えますが、学校でも金星が見えるとか木星が見えるといった紹介は私の学校時代(他の人もたいてい同様のようです)には全くなかったので、どれが木星や土星なのか分からなかったのです。
現在でも、先頃のような皆既月食などは新聞でも報道されますが、金星、火星、木星、土星など肉眼でよく見える惑星については特別なことがないかぎり知らされないので多くの人たちはこうした地球の仲間の星も見ていないのです。
恒星の科学的な正体は判明しています。それは太陽と同様なもので、水素の原子核がヘリウム原子核に変化して莫大なエネルギーを放出しているものです。
しかし、こうした物理的な正体が分かっているということと、霊的な意味とは全く別ものです。 神はそうした星の輝きに霊的な意味を与えているのです。
このことは、例えば人間の化学的組成がタンパク質や脂質、炭水化物、ミネラル、水分等々がいくら含まれているなどと解明したところで、その人間が持っている霊的本性は全くわからないのと同様です。
それは一人一人が神から与えられるものです。星を見て何を与えられるか、それは各人の神に向かう心により、さらに神からの啓示によるのです。