「真理に導かれて」 2007/12
堤道雄追悼文集より
二〇〇七年一〇月三〇日に表記の書物が刊行された。これは「堤 道雄先生追悼文集」という副題から分かるように、キリスト教横浜集会の代表者として長年キリストの福音を伝えてこられた、堤道雄の記念文集である。
堤 道雄のことは、私の前の徳島聖書キリスト集会の責任者であった杣友豊市さんから折々に「堤さん」という言葉を耳にしていたので、その名前だけはかなり以前から知っていた。しかし、関東地方の方々とはあまり関わりがなかったので横浜に行くこともなくほとんど知らないままの状態が続いた。
それが、一九八七年から始まった、無教会キリスト教全国集会でお会いする機会ができ、キリスト教横浜集会の方々とも関わりが与えられることになった。
徳島県には四国各地からの結核療養の人たちが集まっていた大きな療養所があり、何百人という結核の患者がいたが、その中で無教会のキリスト者たちも一〇人近くになったようであるが、その最後まで生きて去年八六歳の高齢で召された板東
テル子姉が、初めて若き日に療養所でキリスト教に触れたのは、堤先生が来て下さったときであったと話されていた。
堤 道雄は、一九一八年アメリカのバークレー生れ。学生時代からキリスト者であった。二〇歳のころ、父の蔵書の「内村鑑三全集」に感銘して教会を去って、非戦の立場を採っていた矢内原忠雄の月刊の伝道誌「嘉信」や、政池
仁の「聖書の日本」などを愛読するようになった。一九四二年に召集されて二年間アンダマン諸島に駐留。そのときの戦争の体験が後の生涯で一貫して平和への強い願いとなった。復員後は、静岡で学校の教員をしたが一年ほどで辞めて浜松の浮浪児収容所で働いた。当時は敗戦後のことで駅や町に多くの浮浪児がいて援助を待っていたのを見ていたからであろうと考えられる。
そしてその後、四国・徳島まで出向き、徳島学院という救護院で家庭的に恵まれない少年たちの教育にあたったが、堤道雄のキリスト教信仰を基とした方針が県の方の担当者と合わずに数年で徳島を去ることになった。その間にそれ以後四七年続けられた「真理」誌が創刊された。
堤は、その後横浜市で「横浜聖書研究会」を始めた。これは現在のキリスト教横浜集会となって続けられている。
堤は、その「真理」誌の創刊号でつぎのように述べている。
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…この世において、最も根本的なる事業は福音の伝道であるということができます。私が内村先生の影響を受けて強い回心を経験し、そのとき深く福音の伝道者たらんと決意したことが、決して誤りでなかったことを確信しました。私は社会事業は伝道なりと思って働いています。けれども何とかして直接福音の伝道の方法が現在の私にないものかと考えていました。さいわい去年六月、徳島無教会主義聖書研究会をつくることができました。…この小冊子の使命は、聖書の真理をいかに純粋に、大胆に明白に伝えるかであります。世はまさに神の言のききんであります。
ただ神の導きをいのります。
一九五〇年一月
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このように、堤は三〇歳になったばかりであったが、徳島に赴任して、すでに少数が集まっていた徳島の無教会キリスト者たちの集まり(*)をしっかり束ねる最初のはたらきに関わっていたのである。
(*) なお、徳島における無教会の信徒の集まりと定期的な印刷物(伝道誌)は、太田米穂が責任者となり、次いで杣友豊市が受け継ぎ、さらに現在は吉村 孝雄が受け継いで今日に至っている。
そして、徳島においてキリストの福音を伝えるための印刷物については、一九五六年四月八日に「はこ舟」誌が創刊された。その後「いのちの水」と改題されて続けられている。
そして、堤は、北海道の南西部の日本海側にある瀬棚町(奥尻島のほぼ対岸にある)にて、聖書集会の講師として、一九七四年から二七年間の長期にわたって、講師としてみ言葉を取り次いだ。それによって瀬棚地区の人たちが福音に接し、平和の重要性を学ぶことになって次ぎの世代へと受け継がれていくことになった。これは堤のはたらきと、それを支える瀬棚の人たち、さらに送り出す側のキリスト教横浜集会の方々の祈りを主が祝福されたゆえであった。
そして、二〇〇三年の七月から私(吉村)が、瀬棚聖書集会に出向いて聖書講話を担当させていただくことになった。それまでは私は瀬棚という地名も知らなかった。
そのような未知のところであったからどのようないきさつで北海道の瀬棚地区で三〇年ほども夏の聖書講習会が続けられているのかも知らなかった。
瀬棚に行って初めてそこで長年、堤道雄が聖書講話をされていたのだと知らされた。
そのような全く知らないところに私が導かれたことの背後に、私たちの思いをはるかに超えて働いて下さる神の導きを思い、感謝にたえない。
その上、私が一九九四年三月で教職を退職して、祈りとみ言葉を伝える仕事のために日々を用いることに決断した後、キリスト教横浜集会の有志の方々が、「福音の種まき会」というのをはじめて下さって現在に至っても祈りと協力費を捧げて下さっている。福音伝道へのこうした関わりの熱心は堤道雄から流れていること、そしてその思いを常にあらたにされた聖なる霊のはたらきであることを知らされたことであった。
これからも、この闇と混乱の世に、キリストの福音が伝わるように、私たち後に続く者たちの日々を主が導き祝福をして下さるようにと祈り願うものである。
(なお、ここに書いた堤道雄に関することは、「真理に導かれて」という文集から引用、あるいは参考にさせていただいた。
この文集は、二〇〇七年一〇月三〇日発行 編集 堤道雄先生追悼文集刊行会刊、なお購入されたい方は、荒木義雄氏まで。〒電話〇四四-八二二-九二二三)