閉ざされた目に受けた光 2007/12
綱野 悦子
私は徳島に生まれ、大阪で働いていましたが、失明の不安がありました。それが次第に現実となっていったとき、私は目が見えなくなったらどうしよう、とても生きていけないと毎日が不安と絶望のなかにありました。
そんな時、友人の部屋のカレンダーに「明日のことを思い煩うな」というみ言葉がありました。
「まず神の国と神の義を求めなさい」という聖書の言葉の後にあるのです。
私は、この「明日のことを思い煩うな」と神様が言ってくださるのだから、このみ言葉にすがり、神様を信じて生きようと思いました。キリスト教との出会いです。
そして、友人に誘われ、大阪にある無教会のテープ集会に参加するようになりました。
まだ何もわからない私の始めての祈りは、「神様、私の目を見えるようにしてください。もし、それがだめなら私の命をとってください」という祈りでした。けれど、神様はこの祈りを聞いて下さいませんでした。
二五才頃に失明し、盲学校で鍼灸の資格をとり、徳島に帰り自宅で鍼の治療院を開業しました。
大阪の友人が徳島の無教会の集会を教えてくださり、その集会のYさんが訪問してくださいました。
家に訪問してくださったり、集会への送り迎えしてくださる方々の主にある御愛労によって徳島聖書キリスト集会に参加し始めました。聖書を学び、少しずつ導かれていきました。
肉体の目は闇に閉ざされましたが、神様は霊の目を開いていってくださいました。
そして、自分の罪深さを気付かされて、死ぬほかないものでしたが、イエス様は十字架の愛によって命に生かしてくださいました。今思います。私の最初の祈りは聞かれていました。
神様は失明を通して、霊的に闇から光へとこころの目を見えるようにし、そして罪を滅ぼして 私の命をとるかわりに、身代わりに死んでくださり、永遠の命につないでくださったのです。
私が目が見えなくなったのは神様の愛の選びでした。私が救われたのは神様の一方的な恵みによってです。
私は歌を歌うことが好きでしたが、キリスト教に出会い讃美歌を聞いて、とても心が清められました。讃美は祈りであり、祈りは讃美であるとある時教えられました。
祈れない、讃美できないときがありました。妹がガンであと三ヶ月と宣告されたときでした。
自分中心の信仰という罪を知らされました。私の信仰が崩れていきそうでした。
そんな時、主にある姉妹がどれほど背後で祈ってくださったことでしょう。イエス様は「私の愛にとどまりなさい」と十字架から呼びかけてくださいました。そのイエス様にすがるほかありません。主のあわれみによって生かされていることを知らされました。
讃美は祈り、祈りは讃美。このことを思い出して一人で讃美をしました。
イエス様がそば近くにいてくださるのを感じました。
それからは、病室にお見舞いにいったり、友人を訪問して一緒に讃美することがよろこびです。
信仰の道は多くの波が押し寄せ、罪におぼれそうなときもありますが、主に叫び求めるだけで 安らかな主の御手のなかに入れてくださいます。
今日ここで主をほめ称えることができることを心から感謝します。
(二〇〇七年十月八日 東京 青山学院大学礼拝堂での全国集会にて二日目朝の讃美のプログラムの時に語った内容。)