偽りと戦争    2008/3

一九三一年の満州事変に始まり、太平洋戦争へとすすんでいった十五年戦争は、アジアの人たち二千万人を殺したと言われ、日本人の犠牲者も三百数十万といわれる。死者がこのようなおびただしい数であれば、手足に重大な損傷をしたりして障害者となってしまったり、家族が働けなくなったなど被害を受けた人たちは膨大な数に上るだろう。
戦争とは大量の殺人であるのにそれを、聖戦であるとしたり、提灯行列をして喜ぶといった異常な事態を生み出していき、それは殺害、盗み、傷害、暴行、破壊等々ありとあらゆる悪を伴う。
太平洋戦争のもとをたどると、それは一九三一年の満州事変にあった。
満州の奉天の特務機関は軍の司令部などに、満鉄の線路が爆破されたという事件に関して、「暴戻なる(*)支那軍隊は満鉄線を爆破し、わが守備兵の一部と衝突せり」といった情報を流した。
*)あらあらしく道理にもとること

しかし、実は、爆破したのは、中国軍でなく日本の軍隊であった。これは当時からこの報告が真実なのかどうかが疑われていたというが、戦後になって明らかにされた。(日本の歴史 第三〇巻 「太平洋戦争」小学館発行 22頁 他)

このように、あのアジアの広大な領域を巻き込み、中国だけでなく、アメリカ、イギリスなどとも戦争となりおびただしい犠牲者を出した戦争の出発点には、一部の人間の意図的な嘘があった。嘘というのは、状況によってこれほどまでに、恐ろしい悲劇を生み出していくのである。
さらに、太平洋戦争がはじまってわずか半年後(一九四二年六月)、ミッドウェー海戦によって、日本海軍は致命的な打撃を被った。四隻の空母と巡洋艦一隻を撃沈され、飛行機は三二二機、三五〇〇人もの命がたった一日の攻撃で失われていったのである。アメリカ側は、空母一隻と駆逐艦一隻が沈んだ。
このような大敗北にもかかわらず、日本の軍部は、それを隠し、アメリカの空母二隻を撃沈して勝利したとし、日本側は二隻の空母と巡洋艦一隻に損害があったとだけ公表し、新聞もそのように発表した。
このように国家が大きな嘘をつくということが行われ、そのために国民も勝利を確信させられ、次々と悲惨な戦争のために駆り出されていくことになった。
もし、この時点で戦争を止めていたら、膨大な死者、原爆や空襲などの被害も全くなかったのである。
その意味で、一部の軍部の嘘が大量の人命を失わせ、無数の悲劇を生み出すことになったのが分かる。
そしてそれから敗北を重ねて一九四四年一〇月、台湾沖の航空戦においても、軍部は、アメリカの空母十一隻を撃沈し、さらに八隻を大破させ、他に多数の戦艦や軍艦を撃破して、事実上アメリカの艦隊を壊滅させたといったような発表をしたのである。
しかし、実際には、アメリカの巡洋艦二隻が大破しただけで、空母は一隻も沈んではいなかった。このようなおよそ事実とかけ離れたことを発表したのは、戦闘から帰ったパイロットたちの報告をうのみにしたり、受け取った者がさらに誇張していったことからそのようになったという。
しかし少し経ってからそれらが大きな間違いであったことを軍部は知ったが、すでに国内で提灯行列をしておったとか、天皇からのほめ言葉を受けていたなどから、偽りのまま通していったのである。
このときも、この真実が発表されていたら、もっとはやく戦争を終結させようとする議論も生まれたであろう。
戦争とは、殺人という最も重い罪を大量に犯すように指揮した者に高い名誉を与えるというものであるから、万事において偽りがからんでくる。そしてそれがさらに新たな犠牲を生み出していったのであった。
今回のイージス艦「あたご」と漁船との衝突事故において、海上保安庁の了解を得ないでイージス艦の航海長から事情を聞いていたのに、了解を得ていたといったり、「あたご」の乗員とは会っていたのに、会っていないと国会で答弁したり、会ったときの議事録はないといっていたのに、実は記録をとっていたこと等々、防衛大臣はじめ防衛省関係の人間たちが、次々と偽りを公然と発言したこと、追求されてから訂正し、またそれを繰り返す、という状況となったのは、過去の軍部の大きな偽りの事実を思い起こさせるものがある。こと軍事に関して偽るときには、国家全体を巻き込み、国民のすべてが悪影響を受ける。さらに周辺の国々にも影響を与えていく。
人間が真実を守るという一つのことを真剣に考えてするなら、この世の数々の悲劇は生じないであろう。ここに述べたような例はそのような一例にすぎない。
そして防衛省だけでなく、食品会社とか製紙会社、原子力発電関係などさまざまな領域で、次々と偽りがあったことが指摘されてきた。こうした真実に反するようなことは、何もいまに始まったことでなく、どのような世界であっても、いつも昔からあったことである。
それゆえに、聖書では、そのような不信実な人間を真実へと向け変えるために、まず神の真実が 旧約聖書、新約聖書を通じて一貫して言われている。

主は宣言された。
「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまこと(真実)に満ち、
(出エジプト記三四・6
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。」
コリント一〇・13
真実な神と結びつかないかぎり、だれでも不真実な本性から脱することはできない。
主イエスは、「私とつながっていなさい。そうしなければ、あなた方は実を結ぶことができない。」と言われたが、たしかに神、キリストと結びつくことによって初めて真実という実を結ぶことができるようになっていく。


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