リストボタン詩の世界から    2008/3


仰いだときから 水野源三(*

一、主なるイエスを仰いだときから
いきなれた道にかおる白い花
みどりの林に歌う小鳥さえ
私に知らせる御神の慈愛を

二、主なるイエスを仰いだときから
見なれた道を消え行く夕ばえなる空
屋根ごしに光る一番星さえ
私にしらせる御神の力を

三、主なるイエスを仰いだ時から
ききなれた窓をたたく風の音
夜ふけの静かに降る雨の音さえ
私にしらせる御神の恵みを

*)(一九三七年〜一九八四年)戦後まもなく、小学四年のときに赤痢による高熱のため脳性小児麻痺となった。しかし、のちにキリスト教信仰を与えられてその感動を詩に作った。四七才で天に召された。

この詩を作ったときには、著者はもう二八年もの長い間、寝たきりとなり、からだの自由ばかりか、言葉を出すこともできなくなっていた。それでもこのような詩を作ることができた。それは、母親が持つ50音の表をまばたきで合図することで、一字一字を拾っていき、つづったものであった。
このような不自由きわまりない生活のなかでも、魂は清くせられ、驚くべき自由を与えられていたのが感じられる。寝たきりという状態で、現在のような車椅子とか車もその家にはなく、毎日寝たきりの単調な生活であった。しかし、神が彼に霊のつばさを与えたゆえに、神の創造されたこの世界を飛びかけることができた。それがこのような詩になった。 彼の詩に触れると、真理は自由を与えるという主イエスの言葉の意味を深く知らされる。
たしかに主イエスを仰ぐという単純なこと、だれでもできることが魂の世界にはじつに大きな変革をもたらすと言える。それによってこの詩のように、身の回りの自然に対する見方も変わり、さらに人間のさまざまの問題、死後のこと、悪の意味、病気や障害などの意味、さまざまのことに新たな意味が開けてくる。


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