弾圧に打ち勝つもの 2008/4
中国でチベットの人々の抗議活動が力で押さえつけられている。去年も、ミャンマーで、ガソリンの価格があまりにも高くなったことに、僧侶たちが反対のデモを始めたが、軍事政権は武力によって弾圧した。それに抗議した市民も、治安部隊に銃撃されて死亡者も出た。
日本でもそのような露骨な弾圧は六〇数年前はよくみられた。
現在はどうか、先頃の「靖国」という映画への自民党政治家などの圧力が強いのを知って、東京や大阪の映画館が上映中止の決定をした。
権力や武力を用いて、反対するものを弾圧すること、それは昔から権力者がとってきた手段であった。
そしてその弾圧にふみにじられてきた多くの人たちがあった。
しかし、そのような方法では決して真理そのものを弾圧することはできない。かえって彼らが真理によって裁かれるときが必ず来る。
かつてキリスト者たちを迫害したローマ帝国はすでにはるか昔に滅び、また残酷な方法でキリシタンを弾圧迫害した、江戸幕府もまた滅んだ。
そして真理そのものはそうしたあらゆる迫害にもかかわらず、いかなる損傷も受けることはなかった。
かつて主イエスが言われた。
…またその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされる。(マタイ福音書二一・44)
真理の力は永遠であり、いかなる武力も権力もあるいは悪意もそれを砕くことはできず、かえって彼らが砕かれてしまうのである。
このことはキリストご自身において完全な意味で成就している。当時の宗教的、社会的指導者たちはキリストを砕き滅ぼそうとして十字架につけた。しかし、滅んだのは彼らであって、キリストはそのような悪意と死の力に勝利し、復活され、そして全世界にその真理の力を広げていくことになったのである。