北海道、東北、関東、中部などの集会を訪ねて 2008/8
今年も神の導きと支え、そして多くの方々の祈りと準備によって北海道の瀬棚地方での聖書集会をはじめとして各地のキリスト集会を訪れ、また個人的にお会いして語り合う機会が与えられた。
北海道には、徳島から舞鶴まで乗用車で行き、そこからフェリーで小樽までの行程。舞鶴に行く途中、少し寄り道をして山間部にある、愛農高校卒業の添田潤・光子夫妻宅を訪れ、信仰のこと農業への取り組みなど話を聞く時間が与えられた。出発の直前になって、毎月送っている「集会だよりに」関して問い合わせがあり、話しているうちに、添田さん夫妻が、私がこれから向かおうとしている瀬棚集会に参加している上泉
新さんや倉田 健さんの愛農高校時代の教え子であることが分かって意外な導きだと感じさせられた。
瀬棚では、信仰の喜びということがテーマとされていて、それに沿って私は旧約聖書と新約聖書にわたって四回の聖書講話、そして最終日の日曜日には、瀬棚から二〇キロ近く離れた、日本キリスト教団の利別教会での聖書講話(説教)を担当させていただいた。
聖書講話以外には、感話会、懇談会、自己紹介、そして夜のひとときは音楽と讃美の会もあって、四日間を主の導きによって過ごすことが与えられた。瀬棚の酪農、農業に従事している方々には表面からは分からないさまざまの困難もあることがこの六回にわたる瀬棚での集会に参加して次第に分かってきたが、そのような困難のなかにあって信仰により、み言葉によって導かれていくようにと願ったことであった。瀬棚聖書集会が聖書の学びとともに、参加する方々のかかえている問題を何らかの形で出し合う場ともなっていることも主の導きを感じさせられた。
瀬棚での聖書集会が終わって、翌日は札幌での合同集会であった。以前は北海道の合同の集会がなされていたが、近年はそれが途絶えていたとのこと、それが、私たち徳島からの複数の者が瀬棚の聖書集会に参加してその帰途に札幌に立ち寄るということから、徳島集会との交流会という形での集会がなされるようになり、札幌聖書集会の方々だけでなく、旭川、苫小牧さらに遠く釧路からも参加される方があるようになり、さらに今回は「祈の友」の会員の小樽の方も初めて参加された。こうして、合同集会のかたちをとった集会がなされるようなった。これも、私たちの予想しなかったことで、とくに札幌聖書集会に属する全盲の大塚さんや私達の集会の全盲の綱野悦子姉、弱視の熊井夫妻といった視覚障害者との関わりがそうした交流がなされる重要なきっかけとなった。
なおこの札幌での集会で、私の疲労を少しでも軽減するためにと車で送って下さった上泉畔菜さんが、この札幌での集会にも参加されたが、そこでもう長く会っていなかった瀬棚でかつて酪農をともにやっていた仲間であったUさんと思いがけなく出会うことになった。 その前日に瀬棚の野中さんからの問い合わせがあって札幌での集会の場所と時間を野中さんに伝えていたが、その目的はUさんが参加できるようにとの願いからであった。
札幌での集会の次には青森の松丘保養園(ハンセン病療養所)を訪ねた。そこに「祈の友」会員の神子沢さん夫妻を訪ね、二時間ほどいろいろの体験やハンセン病療養所の歴史とそこにおける病者の困難な歩みなどの一端をきかせていただいた。そこで見せていただいた数枚の大きな写真はとくに印象的であった。一枚はすぐそばの沼に一面の雪景色のなかで遊ぶ美しい白鳥、もう一枚は顔がハンセン病のために大きく変形した人の祈りの姿であった。それは全く異なる二枚の写真であった。しかし、よく見ているとそこには双方とも神のわざが明らかに現れているのだった。一つは神の完全な清さをそのまま象徴する雪と白鳥の白さ、別の一枚は絶えがたい苦しみや絶望的な闇を通してキリスト信仰に導かれそこに平安を見出した魂の姿であった。
青森から盛岡・スコーレ高校の田口さんを訪ね、そこの一室での集まりが与えられた。事故で車椅子の生活となった新井さんも参加された。
盛岡から仙台に向かい、そこでの集会が平日であったにもかかわらず、二〇名近い人たちが参加された。ここでは聖霊による導きということでとくにパウロがローマ信徒への手紙の最後に書いた箇所を用いて語らせていただいた。市川寛治兄のお世話によって今回も仙台での集会が与えられ、高齢の吉田
均兄や若い田嶋夫妻、ほかに初参加の方々もあった。
仙台から山形に向かい、そこで夜の集会がなされた。参加者のなかには、今年五月の徳島での全国集会に参加予定して申込もされていたが家庭の事情などから参加できなかった田中姉、石澤兄のお二人も参加されていた。
翌日は初めて鶴岡の地を訪ね、五月の全国集会に参加されていた佐藤さん宅での集会となった。山形から鶴岡に向かう途中の山道で、美しいヤマユリが咲いており、野生のものを間近に観察できたのは初めてのことであった。(ここで撮影した写真を「今日のみ言葉」に用いた。)鶴岡での集会に参加された方々とは私には初対面の方々ばかりであったが、主にある結びつきのゆえに、学びと交わりが与えられた。佐藤ご夫妻と夕食をゆっくりいただくことができて感謝であった。こうしたことも全国集会の恵みなのであって、いろいろなことに結びついていくのを思った。
鶴岡からは新潟に向かい、待っていて下さった山口賢一兄や数人の集会の方々とともに、土曜日の午後、高橋さん宅を訪ねた。事故のために重い障害を持つ身となっておられ、日々の生活がたいへんなご様子を感じた。主がともにいて支えて下さるのでなければ耐えがたいような重荷だと思われ、主が日々共にいて下さいますよう、その重荷を軽くして下さるようにと祈らせていただいた。
翌日は日曜日であり、内村鑑三の著書、信仰について語って欲しいとのことであったので、一番だれでもが入手しやすく、かつだれにとっても日々の指針となると思われる、内村鑑三の「聖書之研究」誌の巻頭言の短文を集めた本「内村鑑三所感集」の一部を印刷してそれをもとに語らせていただいた。
新潟から福島県郡山市に向かい、富永 国比古兄のロマリンダ・クリニックでの初めての集会が与えられた。安達太良聖書集会の方々や教会の方などが激しい雨のなか、参加しておられた。途中の高速道路では郡山に近づくにつれて、かつて経験したことのないような激しい雷雨で高速道路ではすぐ前を走る車さえ見えず、小走り程度に最徐行しても車線もなにも見えないほどのなか、雷の轟音がとどろくといった状況で、自然の猛威を肌で感じつつの走行であった。
ここでも初めての方々と主にある学びと祈り、讃美を共にすることが与えられて、主の導きを感謝であった。
翌朝は、郡山市の「祈の友」の古くからの会員であった相山さん、加藤さんたちとの懇談を与えられた。「祈の友」誌の印刷を何十年と受け持ってこられたが、パソコンの時代となり、印刷の仕事が減少し会社は続けられなくなり、そのうえ、水害、火災、家族の発病など次々と困難が押し寄せてきて現在の試練のなかにおられることを直接に聞くことができた。お会いした四人ともキリスト者であり、そうした困難にもかかわらず、希望を主にあって持ち続けておられることを感じた。そうした困難を主が支え、導いて下さるようにと祈った。
郡山から栃木県大田原市の小河原 貞一兄を訪問した。ずっと以前の無教会全国集会でお会いして以来の交わりが与えられているが、二〇年ぶりであったか、久しぶりの再会となった。いろいろな困難があるけれども、主の導きを受けつつ信仰に歩まれているご様子をうかがうことができた。
そこから埼玉県の野崎宅を訪問。浦和キリスト集会員であるとともに、「祈の友」でもあるのでお訪ねした。ほかに栗原さんや和田 信介さんご夫妻、そして初めての参加者の方も加わっての集まりであった。
埼玉から高速道路を用いて八王子市の永井宅での集会には、初参加の人も数名あり、十五名ほどが集まることができた。今は故人となった岩島公兄の集会に関わる方々が多いとのことであった。
今年五月の徳島での全国集会に初めて参加された方々とも再会の機会となって感謝であった。
そこから翌日は山梨に移動し根津さん宅にて「祈の友」の方々が六名ほど集まり、み言葉の学びと祈りの会がなされた。その後、午後には南アルプス市での加茂宅での集会で、ここでも初めての参加者やガンで残りの命は半年と言われていた方も東京のほうからわざわざ参加され、信仰によってあらたな力を与えられていることを証しされた。集会の主催者である加茂
悦爾ご夫妻の主にあるいろいろな御配慮によって集会にかかわる方々が信仰に導かれ、またその信仰が続いていることも知らされて感謝であった。 さらに長野に行く途中にも「祈の友」会員である松村さんが住んでおられるとのことで、お宅に立ち寄り、ご夫妻と懇談のひとときを与えられた。お二人とも「祈の友」とはずっと以前からいろいろと関わりがあるということをお話し下さった。
諏訪湖の近くの民宿で一泊、翌日は長野の倉田さんのロッジ吹上での集まりが与えられた。長野は去年の三月に白鳥宅、七月には有賀宅にての集会が与えられ、参加者の方々ともなじみの方が増やされた。
このようにしてみ言葉中心の集会が持たれることによっていろいろな方々と新たな主にある交流もできたり、それがまたほかの方にも及ぶということがある。私たちのキリスト集会においても、他県からの方によって特別集会がなされるときにはふだん参加していない方も集められてふだんの集会にはない主の導きを受けることがある。
その後、そこから四〇キロほど南下したところで、去年徳島を訪問された松下さん宅に立ち寄って、家庭集会でみ言葉の学びを持つことができた。ここでも足の不自由な方を含めて初めての方が参加されていて主がその方々の心にも聖霊を注いで下さったことを信じて感謝。
まだほかに何カ所か訪問予定があったけれども、夜中になると生じてくる歯痛のためにしばしば夜が安眠できず疲れがたまってきてほかのところは断念して帰宅することにした。
しかしその夜は十分ではなかったが眠りが取れたので、翌日は名古屋市の木村尚文・ハンネローレご夫妻宅を訪問して信仰のこと、無教会のことなどお話しする機会が与えられた。
出発してから帰宅までの日々を主が守って下さり、また共にいて下さってさまざまの場所でみ言葉中心の集まりや交流が与えられた。何よりも神の言葉が参加者に深くとどまり、み言葉による横のつながりが今後とも強められてそれがまた新たな人が加わることや、すでに信仰をもっていく人の霊的な強めにもなるよう、主がこれらの集まりを用いて下さいますようにと祈りつつ過ごした日々であった。
関東地域でも立ち寄りたいところはいろいろあっても、車での移動の困難、駐車場の問題もあり、高速道路に近いところに限定し、都会の中心部を避けて訪問することになった。
来年もこのような長距離を移動しつつ各地の集会を訪問できるかどうか分からない。主の御心ならばそのような機会も与えられるだろう。
何年か前に、北海道からの帰途、各地を立ち寄るようになったが、はじめは毎月発行している「いのちの水」誌の読者の方々、そして「祈の友」につながる方々が全国各地におられるので、その方々を訪問ということを考えたのであるが、私のはじめの思いを越えて、御言葉を学ぶ集会がなされるようになり、「いのちの水」誌とは関わりない方々、初めての方も参加される場合がしばしばあり、主の導きを感じさせられている。
今も生きてはたらいておられる主が各地でもおられるのをはっきりと知らされ、今後ともいっそう主の働きがなされていくよう、またそのための働き人が各地でさらに起こされますようにと願ったことである。