休憩室 2008/8
○木星と金星
さまざまの問題に悩むとき、また悲しみにあるとき、とくに夜空の星の輝きは親しいものとなります。「悲しむ者は幸いだ、その人は(神により)なぐさめられ、励まされるから。」という主イエスの言葉が心に近い言葉になります。
また、そうした深い悩みや悲しみのない年若い子供や、元気に立ち働いている人にとっても、星の世界は心を永遠へと誘うものになり、魂の栄養となることが多いのです。
夜九時ころには、南の空に輝かしい星、木星が見えます。その透き通ったような強い光は、見る者の心を惹きつけるものがあります。金星は夕暮れとか早朝でないと見えないので、仕事などについている人たちには見ることができないのですが、木星の強い輝きは、夜通し見ることができます。
その木星の上方には、わし座の一等星アルタイル、その右には強い光のこと座のベガ、そして頭上には白鳥座のデネブが幾千年と変わらぬ光で輝いています。
空気の澄んだ地方では、このアルタイルとベガの間に天の川が見えます。
また、金星は、夕暮れ時には西の低い空に見え始めています。これから徐々に高い空で見えるようになり、目をひくようになります。暗くなり始めたころに木星が東の空に見え始めるので、これからは夕方暗くなるころには、西に金星、東に木星という惑星のうちでは最も明るいこの二つが見られるようになり、次第にこの二つの明るい星が近づいて見えるようになります。
○桂の大木
七月に北海道の帰途、青森から盛岡へは予定の時間にすこしゆとりがあったので、東北の植物を知る一助にと、十和田湖経由の道をたどりました。そこで最も印象にのこったのは、途中の山道と十和田湖畔にあったカツラ(桂)の巨木です。桂という漢字や言葉は京都にも桂という地名あり、桂離宮という有名な建物あり、人名にもよく用いられているのでみんな知っています。しかし、その実物の樹木を見たことのある人はごく少ないようです。徳島県でも私は二カ所しか自生のを見たことがありません。
しかし、十和田湖に至る道にはいくつもの桂の木が見られ、なかには数百年を経たと思われる巨木があり、桂の木独特の地面からいくつもの木が生じて幾本もが密生して大木になっているのもありました。
ことにそれらのいくつかは何人もが取り囲めるような堂々たる大木で、そのどっしりとした重み、風格というものは他には見られないほどでした。そして桂の木の丸い葉は採取してまもなくよい香りを発するようになるので、その大木の付近は落ちた葉からその香りが漂っていてそれがいっそう心惹かれるものでした。
数々の風雪に耐え、何百年もの間生き抜いてきた巨木には心を引き寄せる力があります。私はしばしその巨木を見つめて離れがたい気持ちでした。
ことば
(290)神は「隠れた神」である。(イザヤ書四五・15)しかし、生きている神である。
一切を支配し、多くの人には知られてはいないが、実在しているこの英知の存在は生命を持っており、しかも感じ取ることができる。 単に人々や社会などの全体のうちに感じられるだけでなく、個々の人間生活のうちにも感じ取られるものである。
(「愛と希望」一五八頁 白水社版 ヒルティ著作集(原題は BRIEFE 「書簡集」 )
・私たちの信じる神は、たしかにとくに日本人の大多数にとって隠れた神となっている。しかし、神は単に信じるだけの神でなく、魂の深いところで実感できる神なのである。私たちが深い悲しみにあるとき、どんな人間によりも神に、あるいは主イエスに向かうときには、たしかにその慰めと励ましを実感することができる。
(291)福音の伝道
われは人に悪人と呼ばるるも福音の伝道に従事すべし、善人と呼ばるるもこれに従事すべし。世が私の福音に耳を傾くるも伝道に従事すべし、傾けざるもこれに従事すべし、わが国にいかなる政変が起こり来ようともわれはこれに従事すべし、たとい世界は消滅するに至るもわれはこれに従事せんと欲す。
福音はわが生命なり、われはわが生涯中われが福音の伝道に従事せざる時あるを思意するあたわず。(「聖書之研究」内村鑑三著 一九〇一年四月)
・福音は内村鑑三の生命であったゆえ、それを自分だけで持っていることはあり得ないことであった。死せるものは働きかけず、生命とはおのずから、他に向かって働きかける本質を持っているからである。内村にとって生きるとはそのまま福音が外に流れ出ていくこと、伝道なのであった。そして、それは内村にかぎったことでない。ヨハネ福音書にあるサマリヤの女の記事にあるように、イエスからいのちの水を受け取ったものは、だまってそれを保持することはできず、告げ知らさずにはいられなくするものなのである。
そして受けるより与えるほうが祝福される、と言われているように、学ぶと称して書物などから受けることばかりであると、豊かな祝福は期待できない。 受けたものを与えようとするところにさらなる祝福が与えられるゆえに。
(292)自然の美
・星の輝きは、夜空の美しさを生み出し
高きところにいます主の輝かしい飾りとなる。
The glory of the stars makes the beauty of the sky, a brilliant adornment
of the Lord on High.
・虹を見よ。そしてそれを創造されたお方を讃美せよ。その輝きは、この上もなく美しいゆえに。
Look at the rainbow, and praise him who made it; it is exceedingly beautiful
in its brightness.
・主は、舞い降りる鳥のように、雪を降らす。
目は、その美しさと純白に驚嘆し、心は雪の降るのを見て強い驚きを感じる。
He sprinkles snow like birds alighting, …
The eye marvels at the beauty of its whiteness, and the mind is amazed
at its falling.
(旧約聖書・続編 集会の書 四三・9~18より)
(293)本当の祈り
すべては祈りから始まります。祈ることを愛しましょう。日中、しばしば祈る必要を感じ、祈るため労を惜しまないようにしましょう。
もしあなたがもっとよく祈りたいのなら、たくさん祈らなくてはなりません。
祈れば祈るほど易しく祈ることができるようになります。
本当の祈りはたくさんの言葉でなく、
イエス様に心を上げて熱心に願うことです。(「マザー・テレサ 日々のことば」一四四頁)
Everything starts with prayer. Love to pray ― feel the need to pray often
during the day and take the trouble to pray.
If you want to pray better,you must pray more. The more you pray the easier it becomes.Perfect prayer does not consists of many words but in fervour of the desire which raises the heart to Jesus.(「THE JOY IN LOVING」 218P)