リストボタン神の愛と導き 那須 佳子    2008/10

 徳島聖書キリスト集会のことやその集会場のことは写真を通して、また息子の容平からも聞いていました。徳島は第二の故里のよう。いつか参加したいと願ってきました。この連休をつかって参加することができ、みなさんと会えて感謝です。吉村兄から先週日曜日「何かお話を」と言われ、十分な準備はできていませんが、思っていることを話したいと思います。今日は、5月の全国集会の分科会で、「神様の愛と導き」の司会をさせていただきましたが、短時間で思っていることを話せませんでしたので「自分がどのように導かれたか」を少しお話したいと思います。「野の花」にちょっと書いたり、個人的にお話したこともありますが。
 先週あたりから涼しくなってきました。一日くたくたになって帰ってきますが、夜お風呂上り外に出て、星とか月を見るのが大好きで見上げるのですが、こんな時八木重吉さんの詩

この明るさの中へ
一つの素朴な琴をおけば
秋の美しさにたえかねて 
琴は静かになりいだすだろう

を思います。一日疲れて帰宅し、「今日こんな汚いことばを言ったなぁ」とか思うが、虫の音、空の星に清められて天国に行けるような予感がします。きっと八木重吉さんも聖霊をいただいておられたのだと思います。
どんなに罪に汚れていても、このような自然を通してもいやして下さる神さまに一日を終えることのできた感謝を送ります。
 さて、「神様の愛と導き」について、中学2年の時の国語の担任、私の信仰の恩師について。島根県奥出雲、もののけ姫の舞台となるような静かな田舎で恩師に出会いました。とても厳しい先生でした。廊下でパタパタと先生のスリッパの足音が聞こえるとピリッとして先生がこられるのを待ちました。
 学校でクリスチャンはひとり、一匹狼だったので沢山の敵がいたと思います。ある時読書感想文を書くことがあり、それが課題図書だったかどうかわかりませんが庄野英二さんの「雲の中の虹」の感想を書きました。今思うとそれは創世記9章12~16節のことを書かれたものだったかも知れません。
なにかそこに魅かれたのでしょう。感想文を書きそれを読まれた先生から家族集会に誘われ参加するようになりました。他の生徒さんも集われたと思うのですが、一冊の本からつながって最後まで残ったのは私ひとりかなと思います。
以後、細く弱い炭火のような信仰だけれども、イエス様にとらえ続けられています。
本当にイエスさまの導きでしかないなぁと思わせられます。
 高校を卒業して大阪の大学に進学した時、その先生から「できるだけどんどん全国の集会に行きなさい。いろんな集会にできるだけ参加しなさい。」と言われ、富田和久先生がされていた北白川集会を紹介されました。そこで若き日の吉村さんにお会いしました。
その後、静岡県の天城での全国集会で吉村さんと再会。このことが機縁となって高槻の関係もできるようになりました。もし私が天城に行かなかったら、吉村さんからこのようなめぐみをいただくこともなかったでしょうし、容平も信仰を持つことができたかどうか(至らなかったかも)。
ひとつひとつが神様の導きだったと思います。
 年に一回(以前は2回)、島根県の郷里に帰省すると集会に参加するようにしてきました。その時一人15分ほどの感話をするのですが、「感話ができないのは信仰に緊張感がないからだ、なければないで『すみません』と泣きながらでも話しなさい」と言われる方でした。
結婚をしてからは、二〇数年の間 テープを送っていただき一人で礼拝していました。
その後、主の導きで徳島聖書キリスト集会の礼拝の内容を録音したCDやテープを送っていただくようになりました。
家庭集会は初めは息子の容平と2人で始めた集まりでしたがそのうち3人になり7~8人になりました。
 私の島根の先生はいつも言われていましたが、徹底した十字架信仰でした。イエス・キリストを持つこと、どんな話をしても最後にそこに行く。キリスト教はキリストだ。イエスと共に十字架にかかりイエスと共に新しく生まれかわる。苦しみの中でしかキリストに会えない。実感としてイエス様を持ちなさい。とずっと教えられ、自分の中にこういう言葉(教え)がしみついています。
 それから少し話がかわりますが京都で毎年開催される近畿地区無教会キリスト教集会には徳島からたくさん来てくださり感謝いたします。「永遠のいのち」について学びましたが、近畿集会以来、ルカ23章の犯罪人のことがずっと心に残っています。犯罪人のひとりが「イエスよ、あなたの御国においでになる時には、わたしを思い出してください。」と言った。するとイエスは「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(42~43節)
 イエス様と犯罪人のやりとりのことばが私の中から離れないでいます。この犯罪人は自分の罪を徹底的に自覚し、イエス様こそ罪を赦してくださる方だと直感していた。自分が(悪の)報いを受けることは当然だと思っていた。イエス様に委ねることで天国に行けると直感できる信仰を持っていた。「イエス様、私を思い出してください」という信仰を持ちたいなぁと思います。そして祈りの中で「私を思い出してください」と祈っています。
「浦上キリシタン物語」を読んでいるとき、あの迫害の江戸時代に信仰を持つことは死を意味した。はりつけにされた。イエス様のもとにいけると喜んで殉教していった。あの信仰をどうして持つことができたのだろう!私たちは自由に信仰できる、礼拝をし、賛美できる。その背後にあの人たちのような真剣な信仰、殉教者がいたことを知り、身がひきしまる。
島根県の奥出雲にも強い信仰の人がいた。恩師もそうですが。
 加藤歓一郎という人は、教育者、社会運動家であり、力強い信仰の人でした。加藤は、60歳代に健康を奪われ、長男は自死される。このような中で内村鑑三の言葉に出会われた。「救われるとはイエスと運命を共にし十字架につくことなり。エリ、エリ、レマ、サバクタニと叫んで死ぬことなり。救われることは恐ろしきことなり。されど人たるの栄誉の絶頂なり」
本当に霊の信仰に入っていかれた、すべて奪われたあとの霊的な加藤さんの信仰を思います。
 福間三佳さん、白血病で召された時ご主人は「妻はこれでよかった。妻はいい先生、いい先生と言われて、そのことが妻を清めなかった。死の床で妻は神の絶対権を知った。 今死ぬことで、今清められて天国に行った」と言われた。         徳島にこのような信仰が根付いたように奥出雲の片田舎にも霊の信仰があったこと、私もそこに生まれたことも神の愛の導きだったなぁと思う。
十字架上の犯罪人の信仰、殉教者の信仰十字架のイエスのところに行き、そこで慰められる、そういうイエス様を知っていることを一番の喜びにしたいと思います。
私たちは空っぽにならないといけない。空っぽになった時にイエス様が入ってきてくださって少しでも良きことができる。常に日々空っぽにならないといけない。ノアが箱舟に入り、また出たように、日々空っぽになりイエス様に入ってきていただき、新しい力を与えられ世の中に出て行く。
私たちの罪を贖ってくださったイエス様を実感としてもって、日々新しく生きるということを信じて、これからも主につながって生きていきたいと思います。
(九月一四日 徳島聖書キリスト集会にての感話)


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