詩の世界から 2008/10
○しら菊を のぞけば 露のひかりかな
(「古句を観る」岩波文庫276頁)
・秋に咲く白菊、それをふと見るとそこに露が光っている。私たちも神によって鋭くされたまなざしをもって見るときには、さまざまのものの中に、きらりと光る露、うるおいに満ちた何かを見出すことができる。
夜空の星も、天からの露として心を開いてみるときには、心のなかに露のようなしずくを与えてくれるものとなる。
○人々の中に―病める友に―
主イエス様が
愛のまなざしで見つめられ
近づかれ話しかけられ
その御手をさしのべられた
人々のなかに
私もおり
(「わが恵み汝に足れり」水野源三 81頁)
・どこにも慰めのない苦しい病気とのたたかい、その苦しみを誰が分かってくれるだろうと思う。しかしそのような深い心のうずきのなかを主は見つめて下さっている。愛のまなざしをもって。そして御手を差し伸べてその痛みをいやして下さる。その人々の群れのなかに私もいたのだ、その深い実感がここにはある。
○これの世は くるしみ多し わがまぶたつぶれば 涙出てくるかな (杉山義次)
・この作者はキリスト者であったが、深い悲しみをもっていた。具体的にその悲しみが何であったかは分からない。しかし、このような魂の奥からにじみでてくるような悲しみを多くの人はその人生のなかで味わってきただろう。
このような悲しみを主は知っておられる。そしてそのような痛みに耐えかねている魂への愛が、あの山上の教えとして、マタイ福音書の最初の部分にあらわれる言葉である。
ああ、幸いだ。悲しむ者は。
その人は(神によって)慰められるから。(マタイ福音書五・4)
涙のなかから仰ぐ主こそ、最も私たちにしみ通るような慰めを与えて下さる。このことは数知れないキリスト者たちが経験してきたことであろう。