主の平和
どんな人でもいろいろな人間関係において、争いよりは平和、国々においても戦争よりは平和を願う。しかし、この世の平和は、それが個々の人間関係のものであれ、国家社会の平和であれ、維持することはとても困難である。絶えず人間関係も国家の関係も壊れ、反感や敵意が生じてしまう。
こちらがどんなに平和をねがっても相手が理由なき憎しみを持ってくることもある。それはこの世の平和の大きな限界であろう。
しかし、そのようないかなる状況にあっても与えられるのが、主の平和である。言い換えると神から与えられる平和、神の国にある平和である。
キリスト教信仰を与えられてよかった、と思うのは主の平和(平安)(*)が与えられるからである。この世が与える平和とは全く異なる平和であるからこそ、主イエスが「私の平和をあなた方に与える」と最後の夕食の席で約束されたのであった。
このように、キリスト者の間でよく用いられる「主の平和」という言葉は、この時のイエスの約束がもとになっている。
(*)日本語では、平和と平安とはかなりニュアンスが異なっている。国と国の平和とは言うが、国家間の平安、などとは言わない。新約聖書では、平和(平安)という原語は、エイレーネー eirene というが、それは92回出てくる。そのうちほぼ半数は、口語訳も新改訳も平和と訳し、残りの半数を平安と訳している。しかし、新共同訳はすべて 平和という訳語にしている。平和という言葉は、国家間にも使うし、心の世界にも使うが、平安というと国家間などには使われないためであろう。なお、旧約聖書でも大体その傾向であるが、新共同訳は旧約聖書では、平安という訳語は一部で用いている。
平和というと戦争や一般的な争いやもめごとがないといった、消極的表現を思いだすことが多いが、旧約聖書の原語のシャーロームは、そうでなく、「完成された、満たされた状態」という積極的な意味を持っている。
ヘブル語では、動詞のシャーラム は、完成する、不足のない、平和な、全うする、満ちる、十分、真実などという訳語があてられている。
このことは、シャーラムが使われている聖書の箇所を参照するとわかる。
ソロモンは主の神殿で行われてきた仕事がすべて完了すると…(列王記上七・51)
・こうして彼は神殿を完成した。(列王記上九・25)
・主があなたの行いに 〔豊かに報いて〕下さるように。(ルツ記・12)
・アモリ人の悪がまだ、満ちない…(創世記十五・16)
このように、聖書における平和、平安という原語の意味は、「完成され、あるいは満たされた状態」であることが分る。
主の平和にある状態と反対の状態は、混乱と闇のなかにあって苦しんでいる状態である。なにが正しいのかどう考えたらいいのか、将来はみな死んでしまって善も悪も同じように滅んでしまうのだ、というように考えているときには何をしても力が入らない状態になる。努力してもよいことを目指してもみな最終的には滅んでいくのなら、すべては無意味になるからである。
このような状態は私自身かつて経験したものであって、それはまさしく闇であり混沌であった。
そうした状態からたしかにこの世の一時的な平安ではない、主の平安というべきものを与えられたのであった。それはたしかに聖書の巻頭で言われている次のことが、私の内にも生じたのである。
…地は混沌であって、闇が深遠の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。(創世記一・2~3)
闇と混沌の中に、神の光が注がれるときすべての解決がはじまる。それは主の平安(平和)そのものである。キリストを信じた人は、さまざまの国々で圧迫され、数知れない人々の命が奪われた。そのような迫害を受けて最初の殉教者となったステパノは、死の直前に、復活したイエスが、神の右に座しているのが見えたという。そしてその天の国のキリストを見つめながら息を引き取ったと記されている。
復活のイエスは光そのものである。周囲の人たちに憎しみのあまり、石で撃ち殺されようとするときにこのような特別な世界をまざまざと見ることができたこと、それはたしかに闇と混沌のただ中に、神の光が差し込んだゆえであった。それゆえに、ステパノは人々が理解しようとせずに自分に激しい敵意を持って襲いかかったことへの恐怖もなく、理解してもらえない悔しさもなく、敵対する人たちへの憎しみでもなく、深い平安を与えられつつ、息を引き取った。それはまさに「主の平安」が与えられた人の究極的な姿であった。
このように、主の平安(平和)というのは、計り知れない強靱さと深さを持っている。いのちを奪われるという恐怖、石を投げつけられるという激しい痛み、憎しみの炎がうずまくようなところにあってなお持ち続けることができるような性質のものだとわかる。
このような驚くべき平安は、日本の江戸時代における恐ろしい迫害のなかにも多くみられた。それは、宣教師たちが克明な記述を彼らを派遣していた国に書き送っていたのが、保存されていてそれらをほかの膨大な資料とともに書き綴ったのが、戦前の一九三八年に岩波書店から「日本キリシタン宗門史」全三巻として発行されていた。その中から一部を引用する。(現代の日本語として意味がわかりにくい一部の箇所は分かりやすい言葉に変えた。)
…豊後(大分県)にはひどい迫害があった。ここには、三カ所の伝道所があった。…迫害がはじまって一番はじめに取り調べを受けたのが、二組の夫婦と子供三人であった。みな着物をはがされて丸裸にされ、町を引き回された。ついで彼らは俵につめられ、街道に沿った竹や木で作った柵の中に積み重ねられた。彼らはこのままで一晩いた。そのうちの一人は、このためにひどく衰弱して二日後に息を引き取った。ほかの六人の信者は長崎に追放された。
別の町のあるキリスト者の妻は、処刑されることになった。その女に対して、役人が「つまらない宗教のために、この生きている間は苦しまねばならない拷問を受けて、それを耐えるとは、お前は馬鹿だ。こんな信仰によって生きているにしても、お前が救われると誰が保証しているのか。誰がいったい来世のことなど見たのだ。」と言った。
その女は、その役人に言った。
「来世のことは、この肉眼では見えませぬ。信仰によって輝いた心の目には、見えまする。しかし、信仰を持っていないお前さまは、暗闇に住んでいます。お前さまの今のお言葉は、そこから来る言葉です。」
彼女の夫とその兄弟たちは火あぶりの宣告がなされた。その女性は高貴な出身で、上品な生活に慣れていたが、4日間俵につめて、地上に放棄されていた。…二人の兄弟たちは柱につけられ、山のように積んであった薪に点火された。彼らは、「使徒信条」を唱えた。そしてまもなく、彼らの魂は、火ばかりでなく、神を愛する熱情によって清められ、天の喜びに入った。
役人たちから、苦しめられたその女性は早く刑場に行って、火炎のなかで死ぬことだけを望んでいた。死刑の執行人は彼女に、首を切ると宣告した。彼女は、肩のあたりに波うっている髪をぱっと前方になびかせて、刀の下に首を置いた。その瞬間、執行人は間髪をいれず一撃で落命させた。…(「日本キリシタン宗門史」上巻341~342頁より)
このような迫害を受け、家族のつながりも破壊され、耐えがたいような苦しみを受けるにもかかわらず、その信仰をまげることなく、すすんで命を信仰のゆえに捨てた。現代の信教の自由が保証された日本では想像もできないようなことであるが、こうしたことは、ここに引用した書物やローマ帝国時代の迫害のことを学ぶと、数知れず生じたことだとわかる。
このような信仰と行動を支えたものは、何であっただろうか。それこそ、主の平安であった。人間の自然のままの心の平和というのは、ちょっとしたひと言でも乱され壊されてしまうほどもろいものである。
しかし、こうした歴史上でみられる人たちの平安は、どのようなことが生じても揺るがないような強固さを内に秘めた「主の平安」であったのがわかる。主イエスが言われたように、「岩の上に建てた家」であった。「雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。」(マタイ福音書七・25)
おそるべき拷問を受け、命の危険にさらされるにもかかわらず、主がともにいたゆえに「主の平安」を持ち続けることができたのだといえよう。
このように、今後生じる激しい迫害においても、それを乗り越える力をもったものとして、イエスは、最後の夕食時に、教え、約束されたのであった。
シャーロームという、満たされ、完全にされている状態は、すでにエデンの園において象徴的に表されている。渇ききった砂漠のようななかに、水が湧き出ており、エデンの園はその水によってうるおされ、見るからに美しく、食べてよいものをもたらすあらゆる木を地に生えさせた。それはたしかに完全に神の祝福で完全にされ、良きもので満たされた状態であった。
そうした祝福された状態は、驚くほどあっけなく失われてしまった。それは、人が人間の自由意志をまちがって使って、真実な神の言葉に背いたからであった。そのために、無償で受けた大いなる恵みは失われ、エデンの園から追放されていった。その後の生活は、どうなったであろうか。それはアダムたちの子供であったカインの罪に対して神が告げられた言葉のなかに暗示されている。
「地上をさまよい、さすらう者となる」(創世記十一・12)ことこそ、神に従わない者が受ける罰なのであった。
落ち着くところがない、平安を得ることができずに絶えずさまようのである。これは魂に確固たる拠り所を持たない人間の心を象徴的に表す言葉である。主の平和とはまったく逆の、静まることのできない、安住の地を失った魂を表すのである。
こうした創世記の古い記述は、昔物語であって今日の私たちと何の関係もないと思われやすい。しかし、大きな罪を犯し、赦されない心、人から攻撃され平安を得ることのない魂は、今も昔もさまよい続ける。この世の混乱や闇のなかで、そのさすらいは止むことがない。
新約聖書のなかに、当時ユダヤ人から憎まれ、見下され、汚れているとされていた徴税人のザアカイは、金には不自由しなくなっていたが、この魂のさすらいがとどまることがなかったことが想定される。それゆえに、イエスが群衆とともに自分のいる地域に近づいてきたときには、何としてもイエスに会いたい、このお方こそ自分の分からないある力で魂を鎮めてくれるお方であるのかも知れないと強く引きつける力を感じた。
それゆえに、何とかして会いたいと強い願いを持った。だが背が低く人々によって妨げられ、直接に見ることもできないので、前方の大きな木に登ってそこからイエスを見ようとした。こうした大人にはふさわしくない子供のような行動のなかに、何か哀しげなもの、切実なものがひそんでいるのを感じる。
そしてそのザアカイの魂のさすらいをイエスは鋭く見て取り、イエスのほうから彼を見つめ、木の上にいるザアカイを見上げて、今日私はあなたの家にて宿泊したい、と言われ、ザアカイは予想もしないことで胸踊らせてイエスを迎え、そこで彼の魂のさすらいは止み、主の平和を得たのであった。イエスのひと言、その愛に満ちたまなざしを受けるだけで、長い年月さまよった魂はあらゆる欠けたものを補い、それらを満たすのである。
自分で獲得もできないし、家族や他人も与えることのできない主からの平安を受けたからこそ、ザアカイは、今までは固執していた財産からも自由な気持になり、誰からも命じられないのに、「主よ、私は財産の半分を貧しい人々に与えます。またもしだれかからだまし取っていたらそれを四倍にして返します」(ルカ十九・8)と言うことができた。
このように、主からの語りかけを受けて、主の平和を与えられた人は、他者に自然と与えようとする心になる。一般的に言って、だれでも、神からよきものが与えられていると感じている人は、魂の平和を持つ。与えられていないと感じるひとは、平和を持つことができないで、さまよい続け、不満や不安が去ることがない。
新約聖書の相当多くが使徒パウロによって書かれている。
パウロは書簡でもまず、与えられていることを感謝している。それはパウロが主によって魂が十分に満たされていたからである。
例えば、彼の書簡は、新約聖書でもとくに重要なものであるが、その書簡で自分がイエスに全面的に仕える者となったこと、それは神から選ばれ、この世の生活から呼びだされ、福音を宣べ伝えるために遣わされた者となったということを書いている。
このようにすべて受動態で書いてあるのは、彼にとって根本的に重要なことは、すべて自分の力で獲得したというのでなく、神から与えられたという深い感謝の心があったのがうかがえる。
また、その最初の書き出しのところで、次のように祈りをもって書き始めている。
…私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなた方にあるように。(ローマやコリントの信徒への手紙の第一章を参照)
ここには、パウロの絶えざる祈りが感じられる。手紙を書くにあたっても、まずそれを書く自分自身が主の平和を持ち続けていないと書くことができないし、それを読む側もまた、主の平和が与えられるようにとの祈りを込めつつ、書いていったのである。
主イエスは、最後の夕食のとき、次のように約束された。
…わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。
わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。思い悩むな。恐れるな。(ヨハネ福音書十四・27)
パウロはまさにこの主の平和を、復活して生きて働く主ご自身から豊かに受けていたのであったからこそ、その書簡でつねにそれを読む人たちにも同様な平和が与えられるようにという願いと祈りを持ち続けていたのである。
平和とともにすべての人が求めている愛について、平和との関係を見てみよう。
人間的な愛は、平和とは逆にしばしば激しく動揺する。とくに一般的には愛というと男女の恋愛を思いだす場合が多いが、それは熱烈になるほど、動揺も激しくなって相手のちょっとした言動に嫉妬したり、喜んだり、不満を持ったりする。また、相手が心変わりすると憎しみへと一転してしまう。
しかし、それと対照的なのが、神の愛である。神の愛、それは主の平安と深く結びついている。御国がきますようにと、神の御支配をのみ究極的な願いとして持ち続けている人にとっては、いろいろと間違ったことを言われようとも、一時的には驚いたり感情的になったりすることはあっても、じきに神のもとに戻って、平安を保つことができる。
主の平安、それは神が持っておられるような、神の国の平和である。それはすでにアブラハムにおいても見ることができる。アブラハムは、人生のあるときに、親族を離れ、郷里を離れて未知の土地に行け、と命じられた。そのとき、大きな動揺があったであろう。途中はどうなるのか、生きていけるのか、目的地はどれほど遠いのか、そこで別の人たちが住んでいるのはどうなるのか、途中で盗賊に襲われることはないのか等々。
このようなことへの心配によって動揺が大きいほど、神の言葉には従っていけない。聴こうとしない。アブラハムがしたがって行けたのは、神の言葉と共に与えられた平安な心であった。
途中のあらゆる困難にも打ち勝てる、導いていただけるといった固く神に信頼する平安な心がなければ決してそのようなはるか彼方の未知の土地へとは出発できなかった。
信仰とは、信頼であり、神への真実な心である。真実な心であるからこそ、信頼するのである。それゆえ、平安の根底にあるのは、信仰なのである。
神とともにある平和、神から受ける平安は、旧約聖書においてもアブラハムやヨセフなどのような人においても見ることができるが、詩篇には、主の平和への道と、その与えられたゆえの平安な魂の詩が多く含まれている。
その巻頭の詩篇第一編は全体の詩篇のタイトルのように置かれているが、これもまた、何が平安の道であるか、を最初に述べているのである。それはひと言で言えば、み言葉に従う道である。神を信じ、その神は愛と真実の神であると信じるからこそ、その言葉に従っていきたいと願う。そこに平安がある。その平安は水の流れのほとりに植えられた木のようなものであって、いつも命の水を与えられ、葉は茂り、実を結んでいく。
神を信じないとは真理の言葉があるとは思わないことであり、究極的な真理に背を向けることである。それゆえ自分や人間、あるいは人間の造った伝統や習慣、組織や国家などの命令に従うほかはない。
人間はいつも動揺しており、周囲の状況でおおきく動かされるのだから、そのようなものに頼る人間もまた、平安ではあり得ない。
このように見てくれば、詩篇というのは単なる個人の揺れ動く感情を歌ったものでは決してなく、荒れ狂うこの世のなかにあって、それに巻き込まれて混沌とした状態にならないように、真の平和、魂の平安の道を個人においても国家や世界全体に対して指し示すものなのである。
詩篇の第二篇は今月号で、その内容が世界の混乱の現状はどこに根本の原因があるか、そして真の平和への道は何によって来るか、についての詩であることを明らかにしたいと思った。
次の第三編においては、多くの人たちが自分を取り巻き、悪意と嘲笑をもって詩の作者の信仰を退けようとするなかで、必死に神に叫ぶ一つの魂がある。そして彼は、主に向かって祈り叫ぶことによって、ついに神からの応答を与えられた。神のみ声を聞き取るということこそ、私たちの究極的な平安の源なのである。
このように、この第三篇もまた、この世から主の平和への道をはっきりと示すものとなっているのであり、こうした見方をもってすれば、詩篇全体が平和への道を個人の深い体験や啓示を通して、また神ご自身がその背後にあって、人間に示しているのである。
また、広く知られている次の詩は、神からの平和を最も美しく、また親しみやすい表現で記している。それは魂の牧歌であるとともに、神の国からの音楽のように無数の人々の心に流れてきた。
…主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れない。
あなたがわたしと共におられるから。…
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。
わたしの杯はあふれる。
わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴う。
わたしはとこしえに主の宮に住む。(詩篇二三篇)
この詩が最も愛されてきたのは、まさにそこに主の平和がしずかに満ちているからである。愛の神、力ある神が私を個人的に導き、魂の水際へとともない、神の国の目に見えないよきものをもって心を満たしてくださる。そして、たえず自分がリフレッシュされる。
たとえ死が近づくというような危険なところ、暗いところを歩むときですら、不思議な平安をもって対することができる。
また私たちの日常生活で、敵対する人、いわれなき憎しみを持ってくるような人を前にしても、それにのみこまれないように、あふれるばかりに豊かな霊的な恵みを注いで下さる。永遠に神とともにいることをはっきりと予感している。
主イエスが最後の別れの夕食のときに、あなた方は苦難がある。しかし勇気を出しなさい。私はこの世の力に勝利しているのだから、と言われたが、そのことをこの詩は一読して忘れることのできないような表現で表している。
この世の闇の力に勝利した魂、その世界はこの詩篇二三篇によって不滅の刻印を押されて続いてきた。この詩は、これが作られてから三千年ほどものちになって主イエスが約束した、主の平和を預言するものともなっている。
旧約聖書においてすでにこのような、主の平和への道は示されているが、それはまだユダヤ人のごく一部の人たちに示されただけであった。ユダヤ人のうちでも、相当多数は神とは恐ろしい裁きの存在で近づくと滅ぼされるといった感情を強く抱いていたし、律法という規則に縛られてそれを守らなかったら正しいとはみなされないと信じていた。
そうした場合には、神に近づいても一種の恐怖や裁かれるという不安が伴うのであって、深い平安は与えられないことになる。
こうした限界を根底から打ち破り、万人に主の平和への道を指し示したのが、主イエスであった。
…実にキリストは、私たちの平和であります。…(みずからの十字架上での死によって)規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、
十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。(エペソ信徒への手紙二・15~16)
主の平和、それはキリストが十字架によって死なれたことによる。ユダヤ人は世界のどの国も知らなかったときから、唯一の創造主であり、愛と真実の神を知っていたが、多くは律法によって縛られ、本当の自由や平和を知らないままであった。また、ユダヤ人以外はそうした神を知らず、さまざまのものを神々として拝んでいた。こうした神を知っているはずのものも知らないものも、その両者には相容れない深い溝があった。それをキリストは一挙にその溝をなくし、両者が持っていた古い体質を砕き、あらたな人間、キリストに結びついた人間を創造された。
それは、ユダヤ人の割礼など特別な儀式や習慣を守らなかったら平和も救いもないといった狭い民族的なものでなく、全世界に究極的な平和を与える道を示すものとなった。それゆえに、キリストの平和は以後世界中に伝わっていくことになった。
パウロがその手紙につねに、主の平和があるように、との祈りをもって書き始めているのも、その重要性を示すものである。
ここではとくにユダヤ人と異邦人の間の深い溝、敵意というのが言われているが、これは私たち一人一人についても言える。互いに愛を持てない関係、無関心であり、ときには嫌悪や敵意がある。そのような人間関係のなかにどちらかにキリストの平和があるときには、そうしたものが消えていく。キリストご自身が平和を教え、その道を指し示すというだけでなく、このエペソ書の言葉にあるように、「キリストは私たちの平和」だからである。
キリストを信じるだけで、平和がそこにやってくる。どんな敵意や憎しみのあるところにもキリストを心にしっかりと持っている人においては、その人の魂には主の平和があった。すでに述べたように、罪なくして最大の刑罰を課せられ苦しめられて死んでいくことを選んだ人たちには、私たちに想像もできないような主の平和を持っていたのがうかがえる。
主イエスが、弟子たちに行く先々の家で、まずその人たちの平安(平和)を祈れ、と命じられた。そして相手がそれを受け取るにふさわしくなかったら、その平和はあなた方に帰ってくると言われた。
聖なる霊が私たちの魂に吹いてくるとき、おのずから主の平和は生まれる。求めよ、そうすれば与えられる、という主の約束はこのような主の平和についても言われている。科学技術や経済、あるいは教育や文化がどのように発達しても、「主の平和」は近づくことはない。何にも代えることのできない、高価な真珠とも言えるこの主の平和を、この混乱した現代にこそ、多くの人に注がれるよう、祈り願いたいと思う。