罪きよめられた世界 ダンテ・神曲 煉獄篇第二八歌(その1)
煉獄の山を登り初めて以来、さまざまの罪に対しての裁きのゆえの苦しみを受け、それによって清めを受けている魂たちの状況をつぶさに見つつ、自らも罪を清められ、ようやくダンテは煉獄山の頂上にある地上楽園に到達する。
煉獄篇全体に、絶えざる苦しみとの戦いがあった。生前に犯した罪への罰を受け、同時にその苦しみが清めともなっていく煉獄において、この地上楽園で初めてそうしたあらゆる苦しみから解放され、自由となった。これは、罪をおかす以前のアダムとエバがエデンの園で与えられていたような恵みに満ちたところなのであった。
こうした魂のやすらぐ世界、それがこの地上楽園というところに描かれている。
このことは、キリスト以降の時代に生きる私たちにとって、長い人生の戦いと苦しみを終えて、主イエスのもとに深く安らうときに与えられる。
主イエスのよく知られた言葉、「疲れた者、重荷を負った者は私のもとにきなさい。休ませてあげよう」という言葉を思い起こさせる。この地上楽園は、主にある喜びと平安を象徴するものとなっている。
私たちにおいても、罪がキリストへの信仰により、み言葉により、聖なる霊によって清められたとき、こうした霊的自由の世界へと入れて頂ける。
ここには、煉獄篇のなかでも最も美しいと思われる自然の描写がある。
……
さわやかな緑濃い神の森が(*)
新しい日の光を見た目にも優しく和らげていた。
この森林の内や外を歩きたいという気分にはや誘われて
先生の言葉をそれ以上待たずに、この土手を離れると
私は野原をゆっくり、ゆっくりと歩きはじめた。(煉獄篇第28歌1〜5)
(*)地上楽園での森についての 一行目の表現「さわやかな緑濃い神の森」を原文といくつかの英訳をあげる。
・divina foresta spessa e viva(原文、spessa 濃い、viva 生き生きしている)
・The heavenly forest dense and living-green
(Longfellow訳)
・divine forest green and dense (Sinclair訳)
・celestial forest ,whose thick shade with lively greeness(Cary訳)
ダンテがこの煉獄の最後の到達した場所、それは深い森であったが、その森は、神のごとき森、すなわち命あふれる緑に満ちており、太古の森林のごとき重々しさをたたえていた。
この森、それは現代の私たちもそれぞれの魂の浄めに応じて味わうことができるものなのである。
浄められた魂に与えられるのは、この世のただ中にあっても、なお、神のいのちが至る所に満ちていること、命を与える神の力を知って生き生きした希望が与えられていること、いのちに取り囲まれている状態である。
このいのちに満ちた森は、神曲の最初に現れる地獄篇第一歌の森と鮮やかな対照となっている。
地獄篇の最初にあらわれる森、それは「暗い森、苛烈で荒涼とした峻厳な森」であり、言い表すこともできないほどの苦しさに満ちたものであった。そしてその森を思いだすだけでも、ぞっとする、その苦しさにもう死ぬかと思われたほどであった。
森、それはこの人生を象徴している。ダンテがこの暗く恐ろしい森に入りこみ、そこからようやく出ることができたのは、人生の半ば、35歳のころであった。
だれでも、この世に生きるときにはこの暗い森、すなわち至るところに落とし穴があり、脇道があり、自分の罪や他者との関わり、人間関係の複雑さにつまずき、人からの攻撃や裏切り、滅び等々が生い茂っている森に迷い込んでいく。
この箇所から、私たちは、この光なき森に迷い込んで人生を送るのか、それともそこから導き出されて命あふれる希望の森にあって天来の風や川の流れを受け、さまざまの賛美のうちに過ごすのか、いずれかになるということを知らされる。
私自身もキリストを知らないとき、この暗い森に入り込み、どこから出たらいいのかまったく分からなくなった。そしてもがき苦しみ、一人孤独な内面の戦いが続いていた。
そこからようやく出ることができた、それは実に大いなる恵みであったゆえに、この暗き滅びの森から出る道があることを何としても伝えたいという気持ちになったのであった。
ダンテの神曲では、地獄篇の冒頭にある、この暗い森のこと、人生の半ばにしてようやく出ることができた、ということはよく読まれ、知られている。しかし、その後ダンテはどうなったのか、ということについては単に地獄めぐりをして、奇妙なあるいは不気味な罰を受けているという程度の理解で終わってしまうことが多い。
いろいろと地名、人名が現れるし、また内容も当時のまだ科学的に未発達な見方もあり、イタリアの歴史もからんでいて、とても理解しがたいことが多いこと、さらには、日本には神曲の根幹にあるキリスト教信仰を持たない人が圧倒的に多いゆえに、煉獄篇とか天国篇まで読み進まないうちに投げ出してしまうことが多いと思われる。
神曲に関する引用、感想や絵画なども地獄篇が圧倒的に多く、煉獄篇などはたいていの人にとっては、知られていない。
この煉獄篇最後に現れる地上楽園、すなわち創世記にあるエデンの園というべきところのことも、一般的にはあまり知られていないであろう。
ダンテは、その暗く恐ろしい森から出て、光射す山に登ろうとしたが、たちまちさまざまの強力な妨げが現れて登ることができず、暗い谷のほうへと後ずさりするしかなかったのである。
いかに暗い森から出ることができたとしても、そこから高みへと登ることはできないということをダンテは明確に知っていた。
そのゆえに、天からの示しによって導き手が与えられ、その導きによってでなければ高きへと進めないのである。
こうしてダンテは導き手なるウェルギリウスによって、地獄と煉獄を導かれ、そしてようやく煉獄の山の頂上に着き、かつて彼が死の苦しみをもって通ってきた暗い森とはまったく異なる神々しき森へと達したのであった。
多くの神曲の読者は、すでに触れたように、地獄篇に現れる最初の暗い森だけを知って、煉獄篇の最後にあらわれるこの生き生きした緑濃い森のことは知らないままである。
また実際に、この人生にあって、暗い森をなんとか通りすぎてもこの煉獄篇にある森のごとき世界を知らないままで生涯を終えることがきわめて多いといえるだろう。
ここでは、もはやダンテはいままでずっと導きを受けてきたウェルギリウスの手を借りることなく、自由に歩くことができた。前の27歌の最後に、内なる汚れ、罪を清められたゆえに、古き自分(罪)に支配されることなく、清められたダンテ自身の意志で歩めるようになったとある。
自由に歩く、それは新約聖書においても、聖霊によってはじめて可能となることが記されている。聖なる霊、言いかえるとキリストの霊に導かれるものこそ神の子どもといえるものであり、新しき人とは、自分の意志でなく、聖なる霊によって導かれる者なのである。
…神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。(ローマの信徒への手紙8の14)
自由に歩くことができるようになったダンテは、いままでの煉獄の山の環状の道では脇見などしないで、急いで歩かねばならなかったが、ここでは「ゆっくりゆっくり」歩いたと、繰り返しをもって強調されている。
煉獄にたどりついて魂たちが、その山のふもとで一人がうたう歌に夢中になって聞き入っているとき、煉獄山の番人が来て、「どうしたことだ、のろまな魂たちよ、何たる怠慢だ。なにをぐずぐずしているのだ。走って山へ行き、汚れを落とすのだ。さもないと神はお前たちの前に姿をあらわさないぞ。」
(煉獄篇 第二歌一二〇行以下)
と厳しく叱責した。
煉獄篇の最初からこのようにのんびりしていることはできないのだということがはっきりと書かれていた。清めを受ける過程にある者たちは、怠け心は前進のための大きな妨げになるからである。
この地上楽園においては、それと対照的になって、ゆっくりゆっくりと歩くということなのである。罰を受けることもなく清めが全うされたゆえに、もはや急ぐ必要はない。
ここでなすべきは、そこに与えられているさまざまの恵みを十分に味わい、受け取ることなのであった。
そこにおいてまずダンテが受けたのは、地面からわき起こってくる香りであり、さわやかな風であり、小鳥たちの賛美の歌声であり、樹木の奏でる重々しい音楽であった。
…足もとからはいたるところに、ふくよかな香りが漂ってきた。
こころよいそよ風が、たえずやわらかに吹き
さわやかな力で頬をかろやかに打った。
風が吹きわたると、枝々はみなかすかにふるえ、
しなやかにしなった。…
小鳥たちが、喜びに満ちて歌いつつ
朝のそよ風を葉の中へと招き入れると
葉はさらさらと鳴って歌声に和したが
それは海岸の松林の枝々に
風が鳴り渡るさまもさながらであった。
香り、この重要性は、魂に関しては音楽と似たものがある。嗅覚をとおしての魂への音楽がよき香りなのである。神はさまざまの手段を用いて、神の国にあるよき音楽を知らせようとされる。
音楽は無数にあって、常時ラジオとかTV、CD、MP3プレーヤなどで流れているであろう。
しかし、魂を清め、高める音楽というのは決して多くない。 そのようなよき音楽も求めなければ与えられないと同様に、植物全体を見れば数しれないほどにあっても、よき香りを放つ花や植物は、ごくわずかしかない。
人間においても、その魂からよき香りを放つ人というのは全体からみると非常に少ないといえるのと同様である。
それはキリストの香りを持つということであるが、日本ではそもそも唯一の神がおられるということを信じる人が一〇〇人に一人いるかいないかの状況である。そのわずかな人たちはごく表面的に神を信じているという段階の人も相当いると考えられるから、実際にキリストの香りを放っているというのはさらに少数となるであろう。
パウロは、自分がキリストを霊的に深く知ることができたこと―それはキリストの復活、十字架による罪の赦し、聖なる霊による力、導きなどの体験をすべて含んでいる―そのゆえにそこからはよき香りが周囲に放たれるということを知っていた。自分が土の器であるにもかかわらず、おどろくべきよき香りを周囲に漂わせるという特別な存在に変えてくださったということを深く知らされていたのである。
…神に感謝します。神は、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。(Uコリント2の14より)
ダンテが、この煉獄の山の最後、すべての汚れ、罪を清められて、地面からもよき香りが漂ってくるという状況を記したのも、現代の私たちからいえば、キリストに従って十字架の赦しを受けるときには、この世を超えたところ、霊的な大地からよき香りを絶えず受け取り、自分に取り入れることをも暗示しているのである。
そして小鳥の歌声がある。小鳥のさえずりはだれにとっても心地よいものであろう。小鳥の姿、木々を飛び回るその翼の力と自由、そしてそのさえずりは、神への賛美として受け取ることができる。翼で象徴される自由と賛美、それこそは、たしかに清められた魂が与えられる天の国の宝である。
そしてさらにさわやかな風は、深い生き生きした森に吹き寄せて、イタリアで有名なある海岸にある松林が奏でる重々しい音楽のごとくであった。
ダンテがとくにこの地上楽園にて、森が風に鳴る響きを松風の音のようだとしているのは、彼も松風の音に特別な印象をもっていたことを示している。
松林の風に鳴る音、それは私にとっても懐かしい、心深く残っている音楽である。樹木が奏でる音としては最も心惹くものであり、重厚な音楽だと私には感じられていた。いまから五五年ほども昔にはわが家を取り巻く山には多数のまつが生い茂っていた。台風や強風の吹くおりには、それらから実に心惹かれる音が響いて聞き入ったものである。
とくに台風の近づいたときには、その山に登って、頂上付近まで行ったことも何度もある。 その松風の音楽を聞くためだった。しかし、いまは各地でマツクイムシのために松林は枯れ、私の小学校近くにあった巨大な松林もあとかたもなく消えてしまった。天をつくような、という形容があてはまるようなやや斜めに数十メートルの高さにそびえる松、何百年の歳月を生きてきたどっしりとした松であった。それらが風吹くときにはほかの樹木にはないすがすがしさと重々しさをたたえた音楽であったから学校の帰りにも聞き入ったものである。
松風の奏でる深みのある音、それは日本でも古くから愛好されてきた。(*)
(*)(このことについては、「いのちの水」誌二〇〇八年八月号に書いたが、その後に読み始めた方もかなりおられるので、ここにも部分的にも引用する。)
万葉集にも次のような歌が収められている。
一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 声の清めるは年深みかも── 市原王〔万葉集 巻六・1042〕
この和歌の作者は、松風のかなでる音楽に、深くて清いものを感じていた。
樹木は数知れないほどあるにもかかわらず、とくに幾百年を経た松の風に鳴る音には特別な清さがある。
今から八〇〇年ほど昔に書かれた「平家物語」にも次のようにある。
…今はなき清盛が造ったいろいろの建物を見ると、それらは、どれもこれもここ三年ほどの間に荒れ果てて、年を経た苔が道をふさぎ、咲き乱れる秋草が門を閉じるばかり。 瓦にははやくもシダが生えて、垣根には蔦が繁っている。
高い建物は傾き、苔むして、通うものはただ松風ばかりである。
また、宮殿のすだれも落ちて、射し入るものはただ、月の光だけである。…
(「平家物語」 巻第七より」)
垣根にツタが茂り、ただ松風ばかりが流れている。そしてそれを見つめている月の光があった。ここにはこの世の栄華がはかなく消えていく、それらすべて見つめてきた松が、吹きわたる風によって音楽を奏でて、変わらぬ月の光をいっそう浮かびあがらせているのである。
この情景は、次の歌にも深く影響を及ぼしているのがわかる。「荒城の月」である。この詩の三〜四節をあげる。日本人ならこの歌はだれでも知っていると思われるほどに有名であるが、しかしそれはたいてい、一節の「春高楼の 花の宴 巡る盃 影さして」の部分である。この内容は、大人でもわかりにくいので、それを子供が歌っても何のことか意味不明であったであろう。
それに続くのは、「千代の松が枝(え) 分け出でし 昔の光 今いずこ」である。
松の古木の枝の間から注いでいた月の光がある。そうしたすべての面影はどこにいったのか。(すべては消えてしまった)
二節も同様で、武士たちの戦いのあともみな消え去ったことが内容となっている。
しかし、三〜四節でこの作詞者が言おうとしていることがうかがえる。
3、いま荒城の夜半の月
変わらぬ光たがためぞ
垣に残るは唯かづら
松に歌うはただ嵐
4、天上影はかわらねど
栄枯は移る世の姿
うつさんとてか今もなお
ああ荒城の夜半の月
なお、4節の天上影は…にある影とは、古語で「光」を意味する。天上の光(月の光)は変わらない という意味。
すべては移り変わるはかないものであり、地上に残るのは、ただかづらの繁った姿、そして松風の音ばかり。しかし、変わらないものがある。それが天上の光である、月の光である。
作詞者である土井晩翆自身はキリスト者ではなかったが、彼の夫人が熱心なキリスト者であったことから、当然夫の晩翆もキリスト教、聖書の内容には親しかったと考えられる。
それゆえに、松風やツタの生い茂るさま、すべてが壊れなくなっていくはかなさは平家物語の内容を受け取っているが、平家物語になかった永遠性との対比を結論的な部分である三〜四節で浮かびあがらせていると考えられる。
ダンテはその深い森へと進んでいく。
…ゆっくりと歩いたが、いつのまにか
太古の森林の奥深くへ入りこみ
林の入口のあたりはすでに見えなくなっていた。
するとそこに行く手をさえぎって清流がひとすじ
さざなみをたてて
岸辺に生えた草を右手へたなびかせて流れていた。
この流れに比べると、この世の水はいかに清らかな水でも
まだなにか混ぜ物が含まれているようなきがするが、
この水にはおよそ一点の曇りも見当たらなかった。(第28歌22〜30)
この地上楽園においては、さきほど現れたいのちの象徴としての緑深い森、大地から香ってくる芳香、そして風の音、小鳥のさえずり、そして松林が風に鳴る崇高な響きのような森の木々の葉が奏でる音があった。それに加えてそこにはさらに、清い水が流れていた。
その川岸にはさまざまの花が咲き乱れていた。そこに、歌いつつ、花々を一つまた二つと手折りながら歩いてくる一人の女性が現れた。(以下次号)