燃え移っても気づかない人々― 原発の輸出
現在福島では多数の人たちが困難をきわめた生活を強いられている。
それにもかかわらず、民主党の幹部は、原発を海外に輸出しようとする方向を変えない。
民主党の前原政調会長は21日、朝日新聞などのインタビューに応じ、「日本の原発の安全性に対する信頼は揺らいでいない。輸出はしっかりやるべきだ」と述べ、野田政権でも原発輸出を引き続き推進する考えを示したという。
福島の原発による災害による苦しみがずっと続いているというのに、そして今後何十年もそうした苦しみが続くと予想されているにもかかわらず、はやばやとその危険な原発を途上国に輸出することを表明したのである。
このようなことは、本来原爆を史上初めて投下されて何十万人という人たちが犠牲となり、その後も何十年という長期にわたって人々を苦しめてきた核の恐ろしさを世界に伝えていくという日本独自の使命を放棄することになる。
それどころか、経済的な利得のためには、相手国がその原発やそこから生みだされる可能性の高い核兵器の拡散につながり、原発と核兵器の双方の危険性をもたらし、大事故の場合には、取返しのつかない悲劇を相手国にもたらすことになるといった危険性を何ら考慮しない態度である。
とくに日本が原発を輸出しようとしているトルコやベトナム、インド、リトアニアなどの途上国には、政情不安定な国々も多く、また原発の恐ろしさや放射能の危険性に対する知識などきわめて乏しいと考えられる。医療もすすんでいない。
そうしたところで原発の大事故が生じるなら、その犠牲になる人たちは適切な医療もほどこされずに、長い間苦しまねばならないことになるだろう。
トルコに対しては、福島原発の事故のあと、菅直人首相の原発輸出戦略の見直し発言があり、トルコは、日本からの原発輸出に関する交渉を打ち切る方向になったことが報じられていた。しかし、最近トルコは、日本との交渉を継続する意向を日本政府に伝えてきた。日本の新しい政権が原発輸出の方針を固めていることで考えを変えたのである。
リトアニアについては、日立製作所が東芝などとの受注競争にうち勝って、7月に、リトアニアの原発建設の優先交渉権を獲得したが、そのために数千億円も出資するという。
これでは、原発を「売る」というより、「買う」のだという批判もでるほどである。こんな巨額の金で、福島の大事故から半年しかならないのに、自らの会社の利益となるならなんでもする、といった態度だと言えよう。それだけの巨費があるのなら、どうして自然エネルギーの開発に注がないのかと思う。
相手国が原発の大事故のとき、どうなろうと、福島の被害者がどんなに苦しんでいようと、そういうことは眼中にないのだろう。
また、中米パナマで、各国の環境保護団体でつくる「気候行動ネットワーク」が、10月はじめに、日本は、福島の原発事故にもかかわらず、地球温暖化対策を理由に原発を輸出しやすい仕組みづくりを求めたとして、日本政府に、交渉で後ろ向きな発言をした国を対象とする「化石賞」という不名誉な賞を贈ることになった。
(「化石賞」という風変わりな名称は化石燃料を指すとともに、化石のような古い考え方との揶揄も入っている。)
このネットワークは、日本に対して、「国民に途方もない苦難をもたらした技術を途上国に輸出し、見返りに排出枠を得ようとしている。不適切かつ無責任で、道徳的に誤っている」と批判したという。
この他、日本企業が受注を目指しているのは、ベトナムやヨルダンも含まれる。
ベトナムについては、8月末に、日本原子力発電は、日本企業の原発建設へとつながる調査契約を結んだ。
インドは、原子炉6基、出力計990万キロワットの大規模な原子力発電所を建設する計画が進行中である。これが完成すると、東京電力の柏崎刈羽原発(821万kW)を抜き、世界最大となる。
この建設に対する反対運動は以前からあったが、福島原発の事故を受けて、いっそう反対運動が強まり、今年4月にデモがおこなわれたが、その際、警察が警棒で女性や子供の参加者を殴ったため、デモ隊が暴徒化し、投石などで警察側にもけが人が出たという。デモ隊の数十人が拘束されたという。
その地では漁業に重大な影響があり、原発近くの住民にとっては死活問題となるゆえに、強い関心を持ち、反対運動を続けているが、今回のデモは、4月中旬に地元住民に通告なく重機やセメントなどの資材が予定地に持ち込まれたのがきっかけだったという。
このインドの原発建設についても、日本の日立製作所は、去年の7月に、インドの原発6基もの受注獲得を目指していると表明している。
このように、途上国において原発の増設は次々と計画がされ、日本はそれらと深く関わろうとしている。
このような日本の政治、企業の方向性、その考え方について、思いだされるのは聖書の次のような箇所である。
…その炎に囲まれても、悟る者はなく
火が自分に燃え移っても、気づく者はなかった。(イザヤ書42の25)
これは日本の現在を思い起こさせる。
日本は、大地震、大津波、そして4基もの原発の大事故という世界の歴史でも前例のない災害を受けた。
それは日本全体にいわば火が燃え移っているのに、それに気づかないで、さらに原発を再稼働しようとする多くの政治家や役人、電力会社、原発関係の科学者等々がある。
今回の事態は、まさに、このままの方向を突っ走っていけばどうなるか、ということに対する日本全体、さらには世界の方向性に対する大いなる警告なのである。
それはまさに、今から2500年ほども昔に一人の預言者が神から受けた啓示と重なってくる。これだけ多くの人たちの苦しみを目の当たりにし、現在も続いているにもかかわらず、立ち止まることもせず、大震災以前の考え方をそのままに、まず経済、まず金儲け、まず自分の栄誉、といった発想を、日本の有数の大企業のトップが露骨に表している。
このような考えかたに関して、とくに日立製作所の社長(巨費を投じて外国に原発を輸出しようとしている)に対し、評論家の佐高信(*)は、「旧式ロボットのような人間」であり、「既得権益にしがみつく後ろ向きの会社の典型のトップらしい発言」と強い言葉で、批判している。
この企業の社長のような考え方は、時代のしるしを見ることもせず、弱者を見つめることもなく、この世での正義とは何であるのかを見る、といった最も必要な視点を持ち合わせていない人の発想だと言えるだろう。
(*)佐高は、その著書「原発文化人50人斬り」(毎日新聞社刊)において、原発が安全だという神話を吹聴してきた人物として、中曽根康弘(元首相)、渡部恒三(民主党最高顧問)、与謝野馨(前財務大臣、若い時、中曽根の秘書。)、梅原猛(元国際日本文化研究センター所長)、小宮山宏(元東大総長)、評論家の田原総一郎など、多くを大胆に批判している。
また、自民党は、原発の事故以来、菅直人前首相が、脱原発を前面に出して総選挙をするかも知れないと考え、そのために、これまでの原発を推進していくというエネルギー政策の見直しの委員会を設置して8月末までに新たな政策の中間報告をまとめる予定であった。
しかし、新しい野田政権になって、首相は原発の再稼働や原発の輸出に前向きになっているとみて、結論を来年まで先送りすることになったという。
脱原発の世論もそのうちに弱まって原発容認の方向へと変ると見込んでいるのである。
また、公明党もやはり8月中に原発縮小の新しい方針をまとめる予定であったがこれまた先送りとなっている。(毎日新聞10月5日)
こうした政治家の発想は、まったく選挙対策だけを考えているのであり、要するに自分たちの党がより多くの票を獲得して権力を得たいという低い次元にある。
福島の人たちの苦しみを引き起こした根本の原因が原発であり、その原発を止めることこそ最大の方策であるということを全く考えていない。
日本に、これほどの大災害、大事故が連動して生じているにもかかわらず、その事故で苦しむ人たちへの援助すらほんのわずかしか進んでいないにもかかわらず、なおも、その災害を引き起こした原発を用いて利益を得ようとする政治家、会社経営者、学者たち、そして、なおも原発を続けようとする半数ほどの日本人…、いったいいつになったら目が覚めるのであろうか。
…災いだ、助けを求めてエジプトに下り
馬を支えとする者は。
彼は戦車の数が多く
騎兵の数がおびただしいことを頼りとし
イスラエルの聖なる方を仰がず
主を尋ね求めようとしない。(イザヤ書31の1)
これは、次のように言い換えることができよう。
ああ、災いだ、原発の利益を求めて画策し、あるいは外国に渡り
ただ儲けが多くなることだけを支えとする者は。
彼は、原発の数が多いことを誇りとし
正義の神、聖なるお方を仰がず
主を尋ね求めようとしない。…
また、次のような箇所もある。
…災いだ、偽りの裁きを下す者
彼らは弱い者の訴えを退け
私の民の貧しい者から権利を奪い
夫を失った女を餌食とし、
みなしごから、かすめ取っている。(イザヤ10の1)
数千年も昔のこの時代、社会保障という制度もなかったから、夫を失った女(寡婦・やもめ)は、働く場がなくなり、子供を抱えて著しい困窮に陥るのが常であった。親のなくなった子供もまた、生きることができない状況に置かれることがあった。このため、最も困窮している人たちの例としてしばしばあげられている。
原発は確かにこのイザヤの言葉のように、裁判も安全を繰り返して御用学者側につくように仕向け、原発は絶対安全だという神話を正しいとして偽りの決定をしてきた。
また、農業や漁業でつつましい生活をしていた人たちから農地や漁場を奪い、また多額の金をばらまくことによって人の心を寸断し、弱い立場の人たちを苦しめその労働力を使い、彼らの健康を奪ってきた。
こうした真理に反するやり方は、必ず時が来たら裁かれる。現在も日本全体に、いつまで眠っているのか、という上からの叱責がなされている。
天よ、聞け
地よ、耳を傾けよ、
主が語っておられるからだ。(イザヤ書1の2)