わたしは疲れた魂を潤し、衰えた魂に力を満たす。

(エレミヤ書31の25)


リストボタン永遠の復興

大震災より二カ月、ようやく被災を受けた各地で復興が進んでいる。しかし、福島原発の大事故のように、復興というところまでいかず、その事故が、さらなる重大な事態にならないようにその悪化を止めることに必死の状況が続いているところもある。
しかし、たとえそうした目に見えるところでの復興ができていなくとも、打撃を受けている人々の魂の内なる復興は可能である―聖書にはそうしたメッセージが数多く記されている。
十字架上で、一人の罪人が、その重大な犯罪によって処刑され絶命しようとするとき、かたわらにて同じく釘付けにされていたイエスへの信仰を表した。イエスこそは、殺されても復活して神のもとへ帰るお方だと信じたのである。その信仰のゆえに、主イエスは、「あなたは今日、パラダイスにいる」と約束された。
それは、彼の魂の永遠の復興ともいうべきことであった。
また、38年も重いからだの病気で苦しみ続けていて、立ち上がることもできなかった人が、主イエスによっていやされ、立ち上がることができた。(ヨハネ5の1−9)
その他これに類することはいろいろと見いだすことができる。こうした記述は、イエスこそは、いかなる苦難や打撃にもかかわらず、その魂を復興させるお方だということを指し示すものである。
私自身、立ち上がれないと思われるような状況から、目に見えない主の御手によって引き上げられたのであった。
現在の各地の被災を受け、また長く住み慣れた地を追いだされ、うちひしがれている人たちに、霊的な復興をなさしめる神の力が臨むようにと祈るばかりである。
そしてその力によって、目前のさまざまの困難を乗り越えていって欲しいと思う。

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