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(347)若葉の一つ一つに
神は
復活の約束を
聖書のうちばかりでなく
春の若葉の一枚一枚に書き記しておられる。(マルチン・ルター)

・次のように言うこともできるだろう。
神は、夜空の星の一つ一つに永遠の光の存在と、罪清められたのちの姿をも書き記し、野草の花の一つ一つに救われた魂の姿を書き込んでいる…と。
自然の事物は、神のさまざまの思い、ご意志、その約束を書き込んだものであり、一種のバイブルなのである。

(348)神のために生きる
…魂のために、真理に従い、神の言葉に従って生きていると言った百姓の言葉を耳にすると同時に、おぼろげではあるが、意味深い考えが群れをなして、今まで閉じ込められていたところから、急に飛び出して来たかのようであった。
そしてそれらの考えは、みな一様に、一つの目的に向かって突進しながら、その輝きで彼の目をくらませつつ、彼の頭の中で渦巻きはじめた。…
百姓の言った言葉は、彼の心に、電気の火花のような作用を起こして、これまで一時も彼をはなれたことのない、断片的な地のない、ちりぢりばらばらのおびただしい考えを、突如として変形させ、ひとつのものに結合した。(「アンナ・カレーニナ」トルストイ著588頁 河出書房)

・これは、この著作の終末部に近いところで、主人公が次第に神への信仰に目覚めていくところである。長いあいだ、この主人公(レーヴィン)は、自分とは一体何であるのか、何のために生きているのか、ということがわからずに生きてきた。それが分からなかったら生きていくのは不可能である。ところが自分はそれを知らない、だから生きていくことはできないのだ…と考えていた。
そのような精神の暗闇でさまよっていたとき、ようやく光が射し込んだのである。生きていくとは、真理そのもの、神の言葉に従って生きていくことだ、そのために自分はこの世に存在しているのだ、ということがはっきりとわかってきたのである。
細かい字で三段組みで600頁を越すこの長編の目的は、この最後のところにある。この生きる目的を知らずに、あるいはそれに意図的に背を向け、自分の欲望や自分の意志によって生きていこうとしたとき、いかに深刻なさばきを受けていくか、それがアンナの生涯―最後は列車に飛び込む―で象徴的に示されていく。
この長編の最初の扉に書かれている言葉は、「復讐は我にあり、我これを報いん」(ローマの信徒への手紙12の19)である。神のために生きようとしないときには、必ず神によって裁きを受けるということなのである。
そういう裁きを受けることなく、ただ信じるだけで与えられる救いを皆が受けられるようにと、キリストは来られ、十字架にかかられたのであった。


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