2011年12月 |
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詩の世界から 秋のこころ 八木重吉 水の音がきこえる 水の音のあたりに胸をひたしてゆくと ながされてゆくと うつくしい世界がうっとりと明るんでくる ・小さな谷川のほとり、水の音に耳をすませると、水のふしぎな働きがここに記されている。 ただ流れているだけ、同じような音をたてて流れている、昨日も今日も、そして明日も同じような流れ、同じ音をたてて流れている。けれども、人の心に生き生きとしたものを与えてくれる。その水の流れと水音が人の心を清め、あらたにしてくれる。これは私自身、近くの谷川で繰り返し与えられている経験である。 作者は、この水の音によって秋の心を感じた。ふつう秋は、紅葉や秋の花や大気のすがすがしさによって感じることが多い。水音もまた、開かれた心には、秋の心を感じさせるのである。 そしてキリスト者にとってそれは、神の心をも反映していると感じられる。 雨 八木重吉 雨の音がきこえる 雨が降っていたのだ あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう 雨があがるようにしずかに死んでいこう ・降る雨のすがたとその静かな音に耳をすませるとき、それは人のあり方を指し示すものとして感じられる。生き方、そして死に向うときの願いをも表していると感じている。 このように、主によって目覚めている魂にとっては、水の音も、雨の音も、そして吹く風の音もみな深い主のみわざのあらわれであり、メッセージなのである。 |