リストボタン魂を燃やすもの    2004/6

この世ではいろいろの火が燃えている。それは競争心という炎であったり、金や名誉、権力欲であったりする。特定の相手への憎しみであるということもある。そうしたものが複雑に混ざり合ってこの世のさまざまの出来事が生じているし、大規模となると国家間の戦争という悲劇も生じる。
無数の人々が生活しているところに、爆弾を投下してそれによって人々がどんなに苦しまねばならないか、そんなことを一向に考えないほどに、戦争を推進したりするときにはいわば悪魔の火が政治家や軍人、そして国民にも燃えているのである。
先頃生じたわずか十一歳の女子児童が計画的に同級生の命を断つなどという考えられないようなこと、それもまた、そのような恐るべきことをしてしまった女の子の心のなかに、ある不気味な火が燃えていたからだといえよう。
そのような、闇の火も燃えているが、また、神の火もまたこの世にあって燃えている。
聖書にも人間を深いところで動かすものを「火」と見ている。
主イエスは次のようなことを言われた。

わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。
(ルカ福音書十二・49
この言葉には二つの意味が重ね合わされていると考えられる。ほかの箇所を参照することで、主イエスが言おうとされていることが浮かび上がってくる。
それは、キリストの先がけとして来た、バプテスマのヨハネは、自分は水で洗礼を授けているが、キリストは「聖霊と火によって」洗礼を授けると預言した。たしかにキリストは火のような激しさをもって、真実なものと不真実なものを明らかにし、悪への裁きをされる御方である。別のところで、主イエスが、「私は剣を投げ込むために来た」という驚くべき言葉を出されている。それも「火を投げ込むために来た」というのと、通じるものがある。
しかし、他方では火とは、聖霊を表している。キリストが十字架で処刑されたのち、弟子たちがそれまでは自分たちも捕らわれることを恐れて、何をする気力もなくおびえていたのが、まったく新しい人間になって、力強くキリストのことを宣べ伝えるようになったのは、聖霊が注がれたからであった。その
聖霊のことを、「炎のような舌」と記している。これは今月号の別の文に記したような意味があるが、聖霊とは火のごとくに燃えるもの、そして他へと燃え移っていくといえるような本質があると言おうとしているのである。
パウロが、「(神の)霊の火を消してはいけない。」
テサロニケ五・19と言っているのは、私たちが人間的な考えになったりするとき、神からの火を消すことになってしまうからである。
私たちの内に燃えるものがなかったら、生きていても何か空しいと感じるであろう。人間は動物と違って、目には見えない水によってうるおされ、また目には見えない火によって燃やされていなければならないのである。
私たちの内部に点火するのは誰か、それこそキリストである。
復活したキリストが、ある村へと急ぐ弟子たちのそばにいつのまにか静かに立って歩いていた。そのとき、弟子たちはそれが復活したイエスだとはとても分からなかった。不思議な力に押されるように彼らは共に歩んできた人を引き止めて、一緒に食事をした。その時、弟子たちの目が開けてイエスだと分かった。そしてこう語り合った。

二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。
(ルカ福音書二十四・32

この二人の弟子たちは、イエスが神の子と信じてずっと従ってきた。しかし、イエスは十字架にて無惨にも処刑されてしまった。そのため暗い表情で心は闇と悲しみで包まれて歩いていた。そこに復活したイエスが近づき、語りかけた。
弟子たちはまだそれがよみがえったイエスであるとは、分からなかった。しかし、彼らの心はイエスの語りかけを受けただけで、燃え始めた。イエスが近くにいて下さること、それが私たちの心に点火することになり、イエスの個人的な語りかけこそは、私たちの魂を燃えたたせる力を持っているのである。
私自身もかつてはさまざまの問題をかかえて、自分自身のことだけでなく、人間や将来の世界がどうなるのか、それにまったく希望がもてなくなって心は闇に閉ざされていた。
そのようなときに、キリストを知らされ、聖書の内容が初めてわかり始めた。それはまさに闇に点火されたのである。そしてそれまでどんなに人間同士で語り合っても決して満たされなかった心の奥深い部分がうるおされ、満たされて何かが燃え始めたのを感じた。そしてそれは数十年を経た現在も燃え続けている。

御恵みの高嶺に ついに登りたる身には
見渡すかぎり ただ 神の御栄えのみ

日々主イエスと歩み ややに御姿を映し
ただ神より来たる 愛に満たされつつ

心は燃ゆ 心は燃ゆ
御霊の火にて燃ゆ(新聖歌 411より
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