草花と樹木たち

(文、写真撮影とも吉村 孝雄)
前年度号へ戻るボタン次年度号へ進むボタン

st07_m2.gif草花と樹木たち Part 1へst07_m2.gif
草花名をクリックして頂いてもジャンプします。

本日は です。 更新日時は です。


  アクセスカウンターアクセスカウンターアクセスカウンター

収録されている草花名(花の写真をクリックすると大きな写真とそれに負荷されたコメントが別窓で表示されます。)

オオキンケイギク

タチツボスミレ
ナツミカン

ミザクラ

レンゲ

ジロウボウエンゴサク

モミジイチゴ

ドクダミ

ジンチョウゲ

トサミズキ

ミザクラ(つぼみ)

カジイチゴ

ミツバアケビ(花)

ハンカイソウ

ザクロ

ハンゲショウ

オカトラノオ

ウツボグサ

タカサゴユリ

ススキ シオン

ホトトギス

カラスウリ

カラタチバナ

スズメウリ

ホトトギス

ヤマハッカ

アカネとイヌタデ

フユイチゴとヤマハッカ

メガルカヤ

アカネ

シロバナタンポポ

ヒヨドリジョウゴ

ヤクシソウ

リュウノウギク

シロバナタンポポ
カラタチバナ
ヤクシソウ
リュウノウギク
 スズメウリ
メハジキ
ヌスビトハギ
センニンソウ
アケボノソウ

 ツワブキとアサギマダラ

ゲンノショウコ

2004106

ホトトギス

マントカラカサタケ

センニンソウ

ダイコンソウ

ツルボ

クチナシ

ハンゲショウ

フジ

ウツボグサ

ジロボウエンゴサク

コバノタツナミ

トサミズキ

タチツボスミレ

紅梅

水を飲むメジロたち

カラタチバナ

ウメ

オオキンケイギク

 

オオキンケイギク…最近とくに、多く見られるようになった大型のキクのなかまです。高速道路の側などにも大群生が見られます。黄色いコスモスのように、痩せ地であっても見事な花を咲かせています。

 

最初へ戻る

ドクダミ

ドクダミ…薬草としてきわめて有名。十薬(ジュウヤク)とも言われるのは、たくさんの薬効があるからです。この花は美しい白色で、十字架のように見えます。そのため、ヨーロッパでは、教会の庭に植えることもあると植物の書物で見たことがあります。

最初へ戻る

natumikan.jpg

ナツミカン…みかんと言えば、食べることしか浮かんでこないという人も多いようです。ナツミカンの花は美しい白色で、しかも花の頃には、あたり一面に香りが漂ってきます。

 

最初へ戻る

zintyouge.jpg

ジンチョウゲ

  この花の強い香りは、多くの植物がまだ寒さで眠っているように見えるなかで、私たちを目覚めさせてくれるような働きがあります。
 それだけに日本でも室町時代から愛好されています。香りは一種の魂への音楽のようなもので、よき香りによって私たちの心にもあるさわやかなものが流れ込んでくるものです。

  中国原産。和名沈丁花(じんちょうげ)は沈香(じんこ)と丁子(ちょうじ)の花の香りをあわせもつことから。
 なお、沈香とはインドから東南アジアに自生する香木で高さ二〇メートルにも達する木で、丁字とは、熱帯地域で栽培されている植物でやはり香料を採る木です

最初へ戻る

tatitubosumire.jpg

タチツボスミレ
このスミレは山では最も多く見られるもので、山道や斜面で群生しているスミレはたいていこれです。
 春の訪れを知らせる野草として多くの人の心を惹いてきたものです。)

 

最初へ戻る

tosamizuki.jpg

トサミズキ

春先に咲く樹木の花として、トサミズキは、特に心に春を感じさせてくれる花です。 この自生は、高知県の一部の蛇紋岩や石灰岩地にあるとされ、これは、ミズキの仲間ではありませんが、葉がミズキの葉に似ていることから、トサミズキの名が付けられています。 これは大きな木にはならず、高さは2~3メートル程度で、写真のように多くの枝分かれをします。(なお、ミズキ科には、広く知られているハナミズキがあり、これは北アメリカ東部原産で、1912年東京市長がアメリカに、サクラを贈った返礼に贈られたのが最初。さらに徳島市にある眉山(標高277m)にも見られるクマノミズキ、もっと高い山に時折見られるヤマボウシなどいろいろあります。)

 トサミズキの仲間は、19世紀の後半にヨーロッパにも渡り、欧米でも,早春に開花する花木として珍重され、多く栽植されるということです。このうすい黄緑色の花が房状となって次々と咲いていくにつれて、春らしさは次第に実感されるものとなります。 この写真の後方には、白いウメの花も見られますが、ウメとトサミズキはいずれも、まだ緑の新芽はどの木々にも見られないとき、こうしてまず花を咲かせることによって、春を告げようとする神の御心を感じさせてくれます。 冷たい風のなかでもこのように、見つめるものに春だ、いのちの春だ、と多くの花たちがコーラスをしているように次々と咲いていくのです。 このような花の姿、色、たたずまいは、人間の考えたことでなく、まさに神ご自身のお心とご意志の表れで、それゆえに心の目を開いて見る者に、神の深いお心の一端に触れる思いにしてくれます。(文・写真 ともT.YOSHIMURA 最初へ戻る

mizakura.jpg

ミザクラ

(コメントなし)

最初へ戻る

mizakuratubomi.jpg

ミザクラ(つぼみ)

 (コメントなし)

最初へ戻る

renge001.jpg

レンゲ

(コメントなし)

最初へ戻る

kaziitigo.jpg

カジイチゴ 


(コメントなし)

最初へ戻る

ziroubouengogusa.jpg

ジロウボウエンゴサク

 この野草らしい赤紫の可憐なたたずまいの花は、私のすんでいる小松島市や徳島市周辺の山々ではわずかしか見られないのですが、徳島市から南へ50キロほどの日和佐町などには山沿いなどでわりあい多く見られます。
先日も日和佐からさらに30キロ南への地方に家庭集会での聖書講話に行ったとき、その帰り道で見出したのがこの写真です。 変った名前ですが、ジロボウ(次郎坊)とは、タロボウ(太郎坊)に対する言葉で、スミレのことをタロボウと言っていた地方があり、それと同じ季節でしかも色、形もよく似た(*)この花を弟分と見て、ジロボウといったということです。

そして、エンゴサクとは、この仲間の根を漢方薬として用いていて、その名前がエンゴサク(延胡索)というものです。

スミレとジロボウエンゴサク、この二つはたしかに春にとても目立つ美しい、野草らしい花です。
 
私はジロボウエンゴサクの花を見ると、かつて何回も登ったことのある、四国第二の高峰である剣山(標高1955m)とすぐとなりにある、ジロウギュウ(標高1925m)という山を思い出します。
剣山もむかしは一部でタロウギュウといい、そのすぐとなりに高くそびえる山をジロウギュウといったといわれています。ジロウギュウは、四国でも屈指の秀麗な山容で、剣山に立つときとくに目立つものです。
*)距(きょ)があるところも、スミレと同じである。距とは、花のうしろについている尾のような細長い部分。

最初へ戻る

mitubaakebi.jpg

ミツバアケビ(花)

 (コメントなし)

最初へ戻る

momiziitigo.jpg

モミジイチゴ

 (コメントなし)

最初へ戻る

 モミジカラマツ    キンポウゲ科     月山にて   2010.7.30  モミジカラマツ キンポウゲ科 月山にて 2010.7.30
この野草の名前は、モミジカラマツといいます。高さは20~50cm、北海道と、本州の中部から北の高い山にみられるものです。これは、山形県では北寄りにある、標高1984mの月山での撮影です。中央部と右後方の白い部分は、雪渓です。この写真は、7月30日に撮影したものですが、このように、頂上に近いのでなお雪渓が残っているのです。カラマツソウの仲間にはいくつかありますが、これは、写真でもわかるように、葉が大きなモミジのように分かれているからです。この撮影場所よりも下の地域で黄色のニッコウキスゲが多く見られ、そこにも一部この花が混在していたのです。
 雪と野草の花が同居しているといった光景は、関西の山ではまず見られないものです。8月になってもなお残るということは、相当な積雪があることがわかります。その厳しい寒さと重い雪にも耐えてこの植物たちは芽を出し、短い夏に花を咲かせるのです。雪が消えていくころに咲くこの純白の花は、あたかも雪の清い白色をそのまま譲り受けたかのような感があります。太古の昔から、こうした厳しい状況にあって花を咲かせ続けてきたこの野草は、繊細な美しさと強靱さを併せ持っており、神の御手によるゆえに途絶えることなく続いてきたのだと思わせるのです。人間のよごれに染むことなく、清い大気のなか、透明な風を受け、厳しい寒さに耐えて咲く白い花々は、あたかも天上の清いコーラスを奏でているかの雰囲気があります。(写真、文ともT.YOSHIMURA)

hankaisou.jpg

ハンカイソウ

  (コメントなし)

最初へ戻る

ザクロ

ザクロ 徳島県小松島市 日峰山(わが家の植栽) 2009.6.28  

 ザクロは、花を鑑賞するために、そして紀元前から、果樹としても栽培されてきたもので、この鮮やかな緋色の花と、濃い緑の葉の対照が印象的です。つぼみもはち切れそうな豊かさをたたえています。もともと、この植物の原産地は、地中海東岸からトルコ、イランやアフガニスタン地方です。今日では長く続く混乱や戦争で人々が苦しんでいるところが多いのですが、この花は、そうした人間世界の混乱と闇にしずかに語りかけるように、今もその地方で咲いていると思われます。

ザクロは、乾燥に強く、聖書の地方でも重要な植物として栽培されていたために、旧約聖書でも20回ほど出てきます。下のはその一例です。あなたの神、主の戒めを守り、主の道を歩み、彼を畏れなさい。主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる。それは、平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地である。(申命記8:6-8

 このように、神のみ言葉に従うときに与えられる祝福の満ちた地に育つ穀物、果樹の一つとしてあげられています。そのほかソロモンの神殿の柱頭に浮き彫りにされたり、祭司の服にも飾りとなり、「ベールを透かして輝いているあなたのこめかみは、ざくろの実」(雅歌4:3)などのように、多様な意味に用いられています。それほど注目された果樹であったということなのです。現代の日本では、ザクロの特徴ある実を直接に食べたことのある人は少ないと思います。果実の仕組みも独特で、入り組んだ部屋のようなところに小さな実(種)がいっぱいに詰まっていて、私はこどもの時から、興味深く食べたものです。このザクロは、小さな赤いみずみずしい実(種)がたくさん入っていることから、古代より豊かさと命の象徴として用いられてきました。そして、画家のボッティチェリなどは、マリアに抱かれた幼児イエスが、大きなザクロの実を手に持っている絵(「ザクロの聖母」と言われる)を描いています。 これは、ザクロの赤い実はキリストが流した血によって輝くエクレシア(キリスト者の集まり)を象徴するものであり、さらに、たくさんの実(種)がなかに入っているように、豊かな命、キリストによる永遠の命をもあらわしていると言われています。(「聖書象徴事典」174p 人文書院刊他)

 現代の私たちは、多くの実、真理に向かってザクロのような赤く燃える心の実をつけるため、また永遠の命を受けるために、「私に留まっていなさい。そうすれば豊かに実を結ぶ」と言われた主イエスの言葉に従うようにと、求められています。 (写真、文ともにT.YOSHIMURA 最初へ戻る

ハンゲショウ

ハンゲショウ 徳島県小松島市   2002.07
半分化粧したように白くなるから、ハンゲショウという名前があるとも言われ、また、太陽暦では梅雨が明け田植の終期とされる七月二日頃をハンゲショウといい、そのころ咲くからとも言われる。
 ドクダミの仲間であることはすぐにわかります。
 控えめなその姿は、見る者の心を和らげるような趣があります。

ハンゲショウ

ハンゲショウ  徳島県小松島市(わが家の庭)2004.7.05
 

 この植物の名前は、夏至(げし)から11日目の7月2日ごろ、梅雨明けの時期を半夏生(はんげしょう)というので、その頃に咲くからという説明と、上部の葉が半分化粧しているようになっているからとも言われたりします。
これは薬草として有名なドクダミのなかまであると言われるとその葉や花の形がどこか似ていると感じるはずです。いずれも花びら(花弁)も、ガクもない花です。ドクダミは白い花びらのようなものがありますが、植物学的には花びらではありません。ハンゲショウの花は花びらもないめしべとおしべだけの地味なものですが、葉が上部のところには白くなるという珍しいものです。それによって白い花のような雰囲気をたたえています。 緑と白の組み合わせは、落ち着いた静けさを感じさせてくれます。花の地味なすがたを葉が白くなることによって補い、独特の美しさを表しているもので、このような植物に接すると、このように創造された御方(神)の私たちへの心を感じさせてくれる花です。
最初へ戻る

オカトラノオ

オカトラノオ  2003.6.25  我が家にて
 6月頃に咲く野草として、好まれることの多い花です。
 山間の道でときどき出会いますが、この頃は梅雨時なので、山を歩くことは少なく、以前から咲いているところに出会ったのは、そう多くは思い出せません。 この花は、野生の花としては、目立つものの一つで、その素朴な美しさには、心惹かれるものがあります。 かなり、以前に、鳴門市の島の山道で出会ったときのことを思い出します。
 樹木や緑の草のみが生えている変化のない道で、突然このオカトラノオの一群が眼前に姿を表したときの驚きはいまも覚えています。 野草はその創造されたときのままの、はるかな遠い昔の面影をそのままに保っていて、そこに刻まれた創造主である神のお心が感じられるものです。
最初へ戻る

ウツボグサ

ウツボグサ 2003.6.12 徳島県小松島市

近くの山で時おり見付かることがありますが、どこにでもあるものではありません。
 市街地に近いところの平地(徳島県)では四国最大の河川である、吉野川の堤防で、一部の地域には見られます。
 こころを惹く青い花をつぎつぎと咲かせていくので、多くの人に好まれる花です。
以前、写真雑誌の表紙に大写しでこの花が掲載されていたのが思い出されます。

  ちょうど6月の梅雨のころに咲いていて、空模様が曇っていても、山を歩いていて時折この花を見つけると、さわやかな気持ちになったものです。野草のうち、青い花、青紫の花は空の青や海の青と同様に、清さと深さを合わせて感じさせるものがあります。なお、この花が終わった後の花穂には、強力な利尿作用があり、膀胱炎に対して用いられ、薬草として知られています。 靫草(うつぼぐさ)は花穂(かすい)の形が弓矢を入れる靫(うつぼ)に似ているから。
 カコソウ(夏枯草)とも言われるのは、花穂が枯れると黒くなるからです。 初へ戻る

メハジキ

st07_m2.gifメハジキ シソ科 2001.7.5
 徳島県小松島市勝浦川にて

子供がこの茎を使ってまぶたに張って目を開かせて遊んだからメハジキという。乾燥したものは、産後の止血、鎮静剤、利尿剤として用いるので、生薬名は益母草(やくもそう)。朝鮮では、葉は食用にも用いている。

独特の葉の形と花の付き方が印象にのこる野草です。
もう何年も見たことがなかったのですが、最近ある大きい川のほとりで見つけたものです。

ヌスビトハギ

st07_m2.gifヌスビトハギ  徳島県小松島市日の峰山にて 8.28

朝夕が秋らしくなってきて、咲き始め、山の野草らしい素朴な花をつける。

この名前は、花の終わった後に足跡のような実をつけ、

それがヌスビト(盗人)の足跡のように見えるため。

 センニンソウ

 st07_m2.gifセンニンソウ(キンポウゲ科)
  2001.9.12 徳島県小松島市 

 

夏から初秋にかけて、山野で多く見られる。白い十字状の花が、清楚で美しい。山の木々や草の上につるで昇っていき、それらの上で花を咲かせるので、
夏の終わり頃から、山野ではよく目立つ。
学名を クレマチス テルニフローラ(Clematis terniflora)といい、クレマチス、テッセンの仲間である。 

 アケボノソウ

 アケボノソウ リンドウ科 2001.10 徳島県美馬郡

 秋の山の野草のうちでも、とりわけ心に残るのがこのアケボノソウです。センブリという有名な薬草を見たことのある人は、どこか似ていると感じるはずです。この花はセンブリと近い種類だからです。 小さい花びらに繊細な模様がついています。この斑点があけぼの(夜明け)の星に似ているとのことでこの名が付けられています。どこにでもある花ではなく、現在では残念ながら減少していく一方のようです。30年以上前に、標高800メールほどの山の谷間でひっそりと咲く姿に出会ったのが初めてでしたが、このごろはもう長い間出会う機会がなかった花です。

タカサゴユリ

st07_m2.gifタカサゴユリ

(コメントなし)

  草花名一覧に戻る.

アカネ

st07_m2.gif←アカネ  イヌタデ
(コメントなしi)
  草花名一覧に戻る.

ススキ シオン

st07_m2.gifススキ シオン
(コメントなしi)
  草花名一覧に戻る.

フユイチゴ

st07_m2.gif←フユイチゴ  ヤマハッカ
(コメントなしi)
  草花名一覧に戻る.

ホトトギス

st07_m2.gif←ホトトギス
(コメントなしi)
  
草花名一覧に戻る.

メガルカヤ

st07_m2.gifメガルカヤ
(コメントなしi)
  
草花名一覧に戻る.

カラスウリ

st07_m2.gifカラスウリ   徳島県小松島市   我が家にて      2003.11.05

カラスウリは、晩秋から初冬にかけて、このように、緑のただなかに、その緑が冬の寒さにおおかた消えてしまったのちも、その鮮やかな朱色の実をとどめて、見る者の目を楽しませてくれます。緑のなかの赤、それはとてもよく目立つものです。この実を見つけても高いところや、草木の生い茂るところにあってなかなか採れないことが多いのです。目で見て、味わってくださいとでもいいたげな様子です。

  この実のなかにある種は、かまきりの顔によく似ていて、私も小さい子どものころから、友人たちとこの種を集めてあそんだりしたことを思い出します。

  そのころは、この実の色の美しさなどはまるで感じていませんでしたが、いまでは、神の御手による立体的な絵画のような感じを受けます。 この我が家のカラスウリは、だいぶ以前に種を植えてあったらこのように、大きくそだって実をつけるようになったものです。雑草のただなかから、春に芽を出して、ほかの雑草や木が繁ってくるまえに、懸命にツルを伸ばしてそれらの草木の上部へとめざましく成長し、太陽を光を受けてこのような実を付けるのです。
 人間も力を尽くして、天を仰ぎ、神の光を受けることによって、成長し、実を付けることができるのを思わされたことです。

   
草花名一覧に戻る.

アカネ

st07_m2.gifアカネ
(コメントなし)
  
草花名一覧に戻る.

カラタチバナ

st07_m2.gifカラタチバナ  草花名一覧に戻る.

カラタチバナ
冬に赤い美しい実をつける低木には、いくつかあります。高さの順にマンリョウ、センリョウ、カラタチバナ、ヤブコウジなどです。これらのうち、最も多く見かけるのがマンリョウです。実は葉の下に控えめにつけるので、そこに謙遜のすがたを感じる人もいます。こうした赤い実は花のほとんど咲かない冬の自然にいろどりを与えています。そして昆虫や、花の少ない季節なので、小鳥たちを支える食料でもあります。

シロバナタンポポ

st07_m2.gifシロバナタンポポ   草花名一覧に戻る.

シロバナタンポポ…
 タンポポというと、黄色い花を思い出すことが多いと思います。
しかし、このシロバナタンポポは大きい白い花のタンポポで、太陽の光を受けると見る者に語りかけるように大きく開きます。

スズメウリ

st07_m2.gifスズメウリ  草花名一覧に戻る.

スズメウリ
山の谷間の一角にひっそりと白い実をつけています。はじめは緑の可憐な玉ですが、だんだん秋の深まりとともに白い玉になっていきます。
秋に熟する実で白くなるのは少ないので、目立ちます。カラスウリの赤い実とは対照的な実です。

ヒヨドリジョウゴ

st07_m2.gifヒヨドリジョウゴ
(コメントなしi)
  
草花名一覧に戻る.

ホトトギス

st07_m2.gifホトトギス
(コメントなしi)

  
草花名一覧に戻る.

ヤクシソウ

st07_m2.gifヤクシソウ  草花名一覧に戻る.

ヤクシソウ
晩秋に咲く黄色いノギクです。12月にもなお咲いているのを見かけることがあります。ノギクというと青紫のヨメナとかノコンギクを思い出す人がほとんどですが、山路を歩いていて晩秋のさびしくなった山道を美しい黄色の花で飾るのが、ヤクシソウです。

ヤマハッカ

st07_m2.gifヤマハッカ  シソ科      徳島県名東郡佐那河内村   2003.10.23

 (北海道から九州までと朝鮮半島および中国に分布し,山野にはえる多年草。
 高さ6090cm)山みちのかたわらに、小さなしかし、心にとまる色合いをもって、控えめに咲いているのがこのヤマハッカです。
ハッカの名はありますが、ハッカ特有の香りはありません。
 しかしその可憐な姿と秋の野草らしい色調によって、おもわず立ち止まって見つめたくなるような花です。

  この写真は、我が家から数十キロ西の山間部で行われている、月に一度の家庭集会への途中の山道で撮影したものです。
  この花は山道で時折見つけるものですが、我が家のある、
 低い山の登り口のところにも数株ですが毎年そだって、花をつけます。
 こうした野草が少し咲いているだけでも、そのあたりに、 ある種の平和な雰囲気を感じるものです。これは自然の持っている純粋さのゆえだと思われます。
  草花名一覧に戻る.

リュウボウギク

 

st07_m2.gifリュウノウギク  草花名一覧に戻る.

リュウノウギク…
秋の山の美しい白色のノギクです。葉をもむとリュウノウ(龍脳)の香りがあるので、この名があります。この花がいっぱいに咲いている山の斜面の一角を見つけると、そのあたりが清い光が射しているようです。

ツワブキとアサギマダラ

ツワブキとアサギマダラ

  徳島県小松島市日峰山

(わが家のすぐ近くにて) 2004.10.15 

 アサギマダラ、それは私にとってはなつかしいチョウである。今から35年ほども前、四国の石槌山(1982m)から瓶ケ森(かめがもり 1896m)連峰を縦走していたとき、時おりひらひらと、高原の道の花を訪れ、私の目と心を喜ばせてくれたものであった。その優雅な姿と色、そして独特のゆったりした飛び方はだれもが印象に残るものだと言えるだろう。とりわけ高い山にあってこのチョウに出会うとき、心がいっそう引き上げられるようであった。

それは、数十年を経てもなお心のなかに残っている。その後、徳島県の剣山に登ることがしばしばあったが、夏の高山に咲く、美しいナンゴク クガイソウに群れていたり、もっと低い800mほどの山頂付近のヒヨドリバナにもきていたのを見かけたこともある。この蝶は平地では見かけたことはないけれども、山の斜面に位置するわが家では時折(1年に一度か二度程度)、渡りの途中の休息を兼ねてであろうか、飛来してくる。上の写真は、わが家のすぐ上の山で、ちょうど朝日を受けたツワブキの花に来ていたものである。手で触れることのできるほどの近くに寄っても逃げずにいたので、それを撮影することができたが、このような機会は稀なことだ。 ツワブキの花もわが家の山に自然に群生しているもので、年々少しずつ増えているようである。樹木や野草が生い茂るなかでこのような大きい花を咲かせるし、海岸植物として、強い潮風に吹かれても晩秋まで、咲き続けるたくましさがこの花にはある。この和名は,葉に光沢があるのでツヤブキからきたとも、葉が厚いので、厚葉フキからきたともいわれる。薬用に用いられ、若い茎はフキと同様に食用にもなる。多くの植物が冬の近づくにつれてその勢いを弱め、枯れていくのも多いなかで、このツワブキは緑の大きく厚い葉を広げ、力強く花茎を伸ばして黄色い花を次々と咲かせていく。その野性的な姿はことに印象的であるし、夕日を浴びるとひときわその黄色が周囲に映える。 アサギマダラは、美しいだけでなく、また驚くほどの長距離を渡って飛んで行く。 その事実はアメリカ大陸でも知られているが、実際に日本でも、200211月に愛知県美浜町や和歌山などからしるしをつけて放されたチョウが、そこから1000㎞以上離れた南大東島(沖縄)で捕獲されたり、その後も各地から同様な報告がなされている。前に立ちはだかるいろいろのものをも翼や羽で軽々と、超えていく小鳥やチョウなどは、私たちにも霊のつばさが与えられたらとの願いをかきたてるものがある。どんな妨げがあろうとも、それらを神から与えられたつばさで超えていくこと、それこそ聖霊によって導かれるということである。   (文・写真とも T.YOSHIMURA)  内容・もくじへ戻る。

ホトトギス

ホトトギス

わが家の庭にて 2004.10.15

 この花は、わが家の庭にて半野生状態となってもう長年咲き続けているものです。このように、石の間から自然に生えてきて 美しい花を咲かせています。この花の名前は、ホトトギスという鳥の名をもらっています。鳥のなかでも、とりわけ印象的な声で鳴く、ホトトギスの胸毛のまだら模様と似ているためです。 ホトトギスはわが家でも6月ころにその特徴的な強い声で、何かを呼び覚まそうとするような、強い意志を感じさせる声で鳴きますのでその声が聞こえてくると聞き入るものです。ホトトギスという名前のついた野草は、徳島県の山地では、ヤマジノホトトギスというのが比較的よく見られます。これは秋のさわやかな山路を歩いていて、ふと見かけることがあると、心がなごみます。そしてその素朴な美しさ、沈黙のゆえにかえって多くのことを語りかけるその姿にしばし見入ったことがしばしばありました。最近はもう山に歩く機会がなくなっているのですが、かつて見かけたその姿は今も心に刻まれていて、秋の頃になり、わが家でこのホトトギスがみられる頃になると、誰一人いない山道で見かけたヤマジノホトトギスのことや、学生の頃に、由良川源流地帯に数日かかって京都から入ったところで見かけた野生のリンドウたちのすがたを思い出します。

 こうした清い美しさは、人間が造り出すことはできないものであって、人が見ていようといまいと関係なく、咲いていて神を讃美しているそのすがたに出会うとき、私たちの心に特別な印象を残すものです。 なお、ホトトギスの仲間は、ここに触れたもの以外にヤマホトトギス、キバナノホトトギスなど10数種があります。   (文・写真とも T.YOSHIMURA) 内容・もくじへ戻る。

ゲンノショウコ写真及びリンク

ゲンノショウコ   徳島県小松島市  2004.9.24

後ろの黄色の花はダイコンソウ。 これは数多い薬草の中でも、最もよく一般の人にも知られ、用いられてきたものと言われています。実物が咲いているのを見たことがない人でも、名前は聞いたことがあるという人は多いはずです。薬用植物辞典によれば、「古来、整腸剤としてその効果は実に理想的といっても過言でない。腹痛、胃痛、急性腸炎などに効果あり、胃の弱い人にも常用すると最も適当」などと記されています。効果がすぐに「証拠として現われる」ことから、ゲン(現)ノ ショウコという名がついているし、「医者いらず」という別名もあるほどです。なお、この植物の学名に、Geranium (ゲラニウム)という語が含まれています。

 *)これはギリシャ語で、ゲラノス geranos と書き、「鶴」という意味で、花の終わったあとの実が、鶴のくちばしのような形だからです。 花屋さんでたいてい見られるし多くの家庭でもジェラニウムとして知られている花はこれと同じ仲間です。 この植物は野生でかなり高い山から平地にも見られます。わが家には野生化してずっと以前から咲いています。剣山付近の赤い花のゲンノショウコや印象的で、神戸の六甲山でもやはりその赤い花が美しい姿をみせているのに出会ったことがあります。 そしてこの仲間は、これより花も大きくて、美しいものもあります。徳島県の山好きな人ならたいてい知っているのは、四国第二の高峰である、剣山付近の高山によく見られる、シコクフウロです。7月~8月に剣山に登ると、標高1500メートル以上の付近ではシコクフウロが多く見られ、サラシナショウマやオタカラコウ、レイジンソウなどと共に、剣山のお花畑でよく目立つものです。植物はその花が美しく、またケヤキやスギ、マツなど大木となると、樹木の形自体が力強く美しいのもあり、また食べて食物となり、また香りもあったり、葉の色も心を安らわせ、酸素を生み出し、さらにしばしばこのゲンノショウコのように薬用にもなります。そのうえ、強い風のときには、心を引き締めるような重厚な音楽を奏でてくれます。先日の台風のときに裏山に登ったとき、山全体の木々が壮大な音楽を奏でて圧倒的な力で私に迫ってきて、神の力の果てしないことを実感させてくれました。植物は沈黙を保ちつつもこのように実に多様な働きをもっているのは、神の手作りの作品で、そこに無限の内容がこめられているからです。

*)学名とは、ラテン語を主として用いたもので、世界共通の名で、属名と種小名、命名者からなっています。ゲンノショウコの学名は、Geranium thunbergiiSIEB.et.ZUCC で、Geranium が属名です。なお、ゲンノショウコというのは、学名でなく、標準和名といいます。  内容・もくじへ戻る。

センニンソウ

センニンソウ

 徳島県小松島市日峰山2004.9.15

 これは、夏に緑一色の山にときどき真っ白い花がみえますがそれがこのセンニンソウです。つる性植物なので、草や樹木に巻きついて登っていくので、木々の上のほうでこの白い花が遠くからもみえることがあります。この「今日のみ言葉」を書いている日に撮影したものです。白い十字架状の花が、印象的です。センニンソウは、学名を クレマチス テルニフローラ Clematis terniflora といいます。

この名前でわかりますが、クレマチスといわれるものの仲間です。 クレマチスという属名(*)は、ギリシャ語のクレーマ(klema)という言葉から作られていて、このクレーマとは、「枝、巻いたつる」という意味をもっています。主イエスが、「私はぶどうの木、あなた方はその枝である。私につながっていなさい。」(ヨハネ福音書15章)と言われた、その「枝」という原語は、このクレーマなのです。 そのため、このセンニンソウという野草は、キリストの清めの純白と、私たちを罪の力から解放して下さったキリストの十字架と、さらにイエスの有名な言葉をも思い起こさせるものとなっています。

*)学名は、ラテン語で書かれており、属名と種小名の二つの部分から成っています。前の方が属名で、この場合はクレマチスというのが属名です。なお、センニンソウのような図鑑に掲載されている名前を、学名と誤って思っている人があります。これは、学名でなく、標準和名といってカナで書くようになっています。        (文・写真とも T.YOSHIMURA) 内容・もくじへ戻る。

マントカラカサタケ

マントカラカサタケ

    徳島県小松島市日峰山   2004.8.20

 これは、わが家の裏山にある小さい谷に沿った道で見られたものです。竹林が隣接しているので、その葉があたかも敷きつめたように道を覆っています。その中からこのような興味深い姿をしたキノコが生えていました。

このキノコはカラカサタケに似ていて、柄の上部には、写真でもわかるように、目立ったつばがあり、マントのようだということで、このキノコの名前になっています。傘の大きさは15センチ内外、柄の高さは1530センチの大型のキノコです。(なお、これはカラカサタケとごく近い種類で食用と書いてある書物と不明と書いてあるのがあります。)キノコの類は、椎茸などの店で売っているもの以外では、野生のキノコについては、毒キノコがあるからというので触れたこともない、観察したこともないという人が多いようです。しかし、キノコ類は、その外観、色、香り、そして味や、毒性なども独特なものが多く、ふつうの植物とちがっていて興味深いものです。

 そのため、昔からいろいろの民族で注目を浴びてきたし、食用ともなったりするので、普通の植物とまたちがった印象を与えてきました。 土の中の養分を取り入れて、このような特異なすがたを現すキノコは、神の創造のわざのふしぎを感じさせるものです。  内容・もくじへ戻る。

ツルボ

ツルボ   (ユリ科)

 徳島県小松島市日峰山  2004.8.20

 この花はちょうど咲き始めたばかりです。野山の所々に見出される可憐な野草です。球根(鱗茎)は長さ2~3cm2030cm位の花茎(かけい)の先に長さ4~7cmの花序(かじょ、花をつけた茎のこと)をつけます。薄紫色の花がこの写真のように、控えめに咲く様子は心惹かれるものがあります。上に述べた詩編19編にあるように、この野草の美しさ、小さな花びらの中に私たちへのメッセージがこめられており、人間以外の動物には感じられない美を私たちに向けて創造してくださった、神の私たちへの愛が感じられます。 内容・もくじへ戻る。

ダイコンソウ

ダイコンソウ   (バラ科)

    徳島県小松島市日峰山    2004.7.20

 この花は、初夏から7月も終わりに近づいた現在に至るまでずっと咲き続けています。山道などで時折出会うことがあります。もうずっと前からわが家の周辺で自然なかたちで咲いているものです。 鮮やかな黄色のこの花は、私たちをじっと見つめているかのようです。

こうした植物の花や、樹木のたたずまい、あるいは大空の空や星、夕日に輝く雲、山々の動じることなき姿…などなど、自然の事物は、神の直接の被造物なので、神の清さや雄大さ、力など、そのお心の一部がそのまま現れているように感じます。 私たちが神に真実な心をもって向けるとき、しばしば神もまた私たちを見つめていて下さるように感じますが、同様に、自然の星や植物なども、私たちが心を注ぐとき、それらも私たちを見つめているかのように思えてくるものです。 なお、この植物の名は、下部の葉が大根の葉に似ているということで、このような名となっています。(この写真は上部なのでわかりません。)  内容・もくじへ戻る。

ハンゲショウのJPG写真

ハンゲショウ

  徳島県小松島市(わが家の庭) 2004.7.05

 この植物の名前は、夏至(げし)から11日目の72日ごろ、梅雨明けの時期を半夏生(はんげしょう)というので、その頃に咲くからという説明と、上部の葉が半分化粧しているようになっているからとも言われたりします。

これは薬草として有名なドクダミのなかまであると言われるとその葉や花の形がどこか似ていると感じるはずです。いずれも花びら(花弁)も、ガクもない花です。ドクダミは白い花びらのようなものがありますが、植物学的には花びらではありません。ハンゲショウの花は花びらもないめしべとおしべだけの地味なものですが、葉が上部のところには白くなるという珍しいものです。それによって白い花のような雰囲気をたたえています。  緑と白の組み合わせは、落ち着いた静けさを感じさせてくれます。

花の地味なすがたを葉が白くなることによって補い、独特の美しさを表しているもので、このような植物に接すると、このように創造された御方(神)の私たちへの心を感じさせてくれる花です。  内容・もくじへ戻る。

クチナシの写真(クリックで拡大表示)

クチナシ

        徳島県小松島市日峰山  2004.6.12

 この花は香りの点からも、その色や姿の点からも、多くの人にとって最も心惹かれる樹木の花の一つといえます。この写真はわが家のすぐ裏の山に自生しているものです。樹木や野草が数千もあっても、この野生のクチナシのような心ひく香りはほかにはないといえるほどです。園芸店にもクチナシはいろいろと販売されていますが、残念ながらこの野生のクチナシの気品と香りの素朴さにはとても及ばないと感じます。緑一色のただなかに、その純白の花を咲かせ、類のない香りを漂わせているさまは6月の自然のなかにとくに心に残るものです。

私の妻も、6月は梅雨時でいやな季節だけれど、クチナシが咲く季節だからいいね、と言います。

6枚の純白の花びら、中央の薄い黄色のめしべの色合いがその香りとともに見る者の心に、静かに神の国のメッセージを伝えてくれるのです。 この花は、静岡県から西の暖かい地方にしかないとのことで、野生のこうした美しい姿には寒い地方の人は接することができないようです。この花の果実は熟しても口が開かないので、「口無し」という名前になっています。この果実は冬には黄赤色となり、菓子や漬け物などの食品の着色料にもよく用いられ、さらに薬用植物辞典には薬用としても用いられると記されています。   内容・もくじへ戻る。

ウツボグサ

ウツボグサ

  徳島県小松島市日峰山    2004.6.1

 6月に咲く野草としては、とくに美しいもので、多くの人たちの愛好するものとなっています。その色は青紫で私たちの心に調和音をかなでるように入ってくるものですし、その花の姿も素朴で野草らしさにあふれています。また、この野草は、花が終わると、褐色になるので、夏枯草(かこそう)とも言われ、優れた利尿剤とされています。 しかし、このような心ひかれるような野草は次第に少なくなり、山道でもあまり見かけられないものです。平地ではめずらしいことですが、徳島県の吉野川のある地域の堤防にはこのウツボグサ が多く群生しているところがあります。

 青または青紫色の花は、いろいろありますが、秋に咲くリンドウやキキョウ、アキチョウジのようにたいていは人の心惹くものが多いようです。深い大気の集まりは青空となって見えるし、多くの水の集まりである海は青く見えてきます。遠くの山々も青く見えます。青という色には遠い彼方の国を思い出させるような感じがあります。 内容・もくじへ戻る。

フジのJPG写真

フジ

 徳島県名西郡神山にて 2004.4.29

 このフジの見事な花は、徳島市から30キロほど西の山深いところに、谷の向こう側に咲いていたものです。撮ったところからはかなり距離があったのですが、拡大して写したものです。私たちが県内で見るフジはノダフジが多いようです。香川県と徳島県の県境付近の山では、ヤマフジが多いのを見ています。ノダフジは、つるは右巻きで、花の房が長く、30センチから長いものでは90センチにもなるのがあります。また、花は上の方から順次咲いていきます。ヤマフジの方は、花の房が10~20センチと、ずっと短く、つるも左巻きで、集まっている花の一つ一つはヤマフジのほうが大分大きく、花もほぼ同時に咲き始めるといった違いがあります。

ふつうは私たちはあまりこのように観察していないので、どれでも同じものだと思ってしまうのですが、よく似たものでも、このようなはっきりとした違いがあり、それぞれに個性が与えられています。 フジは、多くの人名にも使われています。藤原、藤川、藤山、藤田…。 こうしたことからも日本人にフジが愛好されていたあとがうかがえます。その姿、かたち、そして色も美しく、山野のみどりあふれるただなかに静かにその美しい花を咲かせているすがたは、日本的なよさを感じさせます。あちこちのフジ園で見かけるのは、ノダフジが多いようです。 これは、日本原産です。なお、ヨーロッパにはフジはなく、日本のフジとよく似た中国のフジが、1816年に紹介されたと、アメリカの植物図鑑に記されていることをみると、ヨーロッパの人たちはこの美しい植物は200年ほど前にようやく知ったということになります。 私の手元にある、ヨーロッパの植物図鑑には、このフジの説明文を a noble climber(気高い つる植物) という言葉から始めていることからも、フジの気品ある姿が西欧の人の心にも印象的であったのがうかがえるのです。植物は時として、ブナやトチノキ、マツ、スギの大木のように、見るものの心に強い印象を残すような力を与えてくれるものがあり、また、いっせいに芽吹く春の新緑は神のいのちを感じさせ、またこのフジのようにある種の気品を伝え、また天国の香りをたたえたもの、神の世界にある美をほうふつとさせるものなど、人間に精神的なさまざまのものを与えてくれるものとなっており、まさに「聖なる書」だと言えます。  内容・もくじへ戻る。

コバノタツナミのJPG写真

コバノタツナミ  (小葉の立浪)

徳島県小松島市日峰山 2004.4.20

 これは、波が寄せてくるさまに似ているところと、タツナミソウよりも葉がやや小さいためにこの名があります。

山道にて見出すことがありますが、実際にはそう多くは出会わないものです。上の写真のものは、いつの頃からか、わが家の近くの山道に自然に見られるようになったものです。草丈はこの写真の群生のものでは5~10センチ程度で、写真のものは赤色ですが、青い花のものが多く、小さな波の寄せるような姿には、心ひかれるものがあります。この写真の花は私たちに呼びかけているような感じがあり、春の山で出会う野草として印象に残る花の一つです。

 このような花は、天の国の小窓のようなものなので、心して見つめているとこの花を創造された神のこと、そしてそこから奥のほうにある天の国が少しは見えるような気がします。  内容・もくじへ戻る。

ジロボウエンゴサクの写真及び拡大ページへのリンク

ジロボウエンゴサク   徳島県海部郡日和佐町  2004.4.6

 この野草らしい赤紫の可憐なたたずまいの花は、私のすんでいる小松島市や徳島市周辺の山々ではわずかしか見られないのですが、徳島市から南へ50キロほどの日和佐町などには山沿いなどでわりあい多く見られます。先日も日和佐からさらに30キロ南への地方に家庭集会での聖書講話に行ったとき、その帰り道で見出したのがこの写真です。変った名前ですが、ジロボウ(次郎坊)とは、タロボウ(太郎坊)に対する言葉で、スミレのことをタロボウと言っていた地方があり、それと同じ季節でしかも色、形もよく似た(*)この花を弟分と見て、ジロボウといったということです。そして、エンゴサクとは、この仲間の根を漢方薬として用いていて、その名前がエンゴサク(延胡索)というものです。スミレとジロボウエンゴサク、この二つはたしかに春にとても目立つ美しい、野草らしい花です。 

私はジロボウエンゴサクの花を見ると、かつて何回も登ったことのある、四国第二の高峰である剣山(標高1955m)とすぐとなりにある、ジロウギュウ(標高1925m)という山を思い出します。剣山もむかしは一部でタロウギュウといい、そのすぐとなりに高くそびえる山をジロウギュウといったといわれています。ジロウギュウは、四国でも屈指の秀麗な山容で、剣山に立つときとくに目立つものです。(*)距(きょ)があるところも、スミレと同じである。距とは、花のうしろについている尾のような細長い部分。 内容・もくじへ戻る。

タチツボスミレの写真(クリックで詳細ページへ)

タチツボスミレ

  徳島県小松島市日峰山   2004.3.30 

 山を歩いていて最も多いのはこのタチツボスミレです。葉の付け根のところに、クシの歯のような托葉(たくよう)があるので、ほかのスミレとはすぐに区別がつきます。この写真のスミレは、わが家の裏山にていつの頃からか、毎年このように咲くようになったものです。このスミレがあるところの付近にはかなり離れてもこれは見られないので、どこから種が来たのか不思議に思われます。 こうした不思議さはどこであっても感じられます。例えば徳島県では、カタクリはごく一部の山にしか見られませんが、以前1300メートルほどの山の頂上付近に自生している美しいカタクリの一群に接したことがあります。

県下では稀なこのカタクリが、いつ、どこから、そしていかにしてこのような高い山の頂上付近だけに生えるに至ったのか、と思うと、とても不思議に感じたことがあります。それはいわば神が見えざる御手でもって、そこに運び、植えたかのような感じがしたものです。 キリストも福音の真理を種にたとえたことがあります。真理の種があちこちに蒔かれても、迫害や人間の側の心のゆるみなどで、芽を出してもつぎつぎと枯れていくという状況がある。しかし、よき地に落ちる種が必ずある、そしてそれが何十倍、何百倍にも増えていくという、神のエネルギーの不滅性を言われたものです。 このスミレには中央の花びらに繊細な模様があります。このような模様がなくとも、スミレは何不自由なく生きて生けるのですが、なぜこのような美しい模様があるのか、とよく考えたものです。その美しさは人間だけが味わうことができるのであって、神が人間に無限の多様性を知らせるためにつくられたのだという気がしてきます。  内容・もくじへ戻る。

トサミズキ

トサミズキ           わが家にて  2004.3.10

 名は、高知県の石灰岩の土地などに自生していることに由来。庭園などによくに栽植されています。高さ2~3m。花は春,葉に先立って開きます。ミズキという名前はついていますが、ハナミズキとは花の形なども全く異なることからわかりますが、科が別です。ハナミズキやヤマボウシなどの花はミズキ科、このトサミズキは、マンサク科です。まだ他の木々が新芽も出さないうちに、このような薄い黄緑色の花を咲かせる姿は印象的です。4月、5月ともなると、草木の葉もたくさん出てきて花も目立たなくなりますが、今頃に咲く花はまだ木々が冬の装いのままのものが多いのですが、ウメに続いてまだ寒い頃から咲き始めます。こうした寒さの中に咲き始める花は私たちにも、精神的な目覚めをうながすように感じられるものです。

 それは神ご自身がいつも目覚めていて、草木に限らず、空や川、海など私たちの周りの自然をたえず新しい変化へとうながし、私たちをも目覚めているようにと励まし、かつ見守っていて下さるからです。内容・もくじへ戻る。

水を飲むメジロたちJPG写真

水を飲むメジロたち

   我が家の庭にて撮影    2004.2.27

 私が机をおいている窓際から見られる金魚のいる大型水槽に最近は、しばしばいろいろな小鳥たちがやってきて水を飲み、また、一番下のメジロのように、中に入って水浴びして羽をふるわして水を落としているのもあります。このように同時に4つものメジロが来て水飲みのためにやってくることは珍しいことです。植物とちがってたえず動き、カメラを向けたとたんに飛び去るのも多いため、小鳥を写真にとるのはとても難しいのですが、これはちょうど仲良しの小鳥たちがともに水を見つけて喜んでいるような感じで、うまく撮れたものでした。

小鳥たちのすがたは、そのさえずりの清いひびきとともに私たちの心をさわやかにし、人間世界の複雑さ、みにくさとはまったく違った世界を感じさせてくれるものです。 内容・もくじへ戻る。

コウバイ(紅梅)の写真及び拡大ページへのリンク

梅  わが家にて2004.2.10

 この紅梅は数十年前に、父が植えておいたもので、父が召されたあともこのように毎年、白梅とともに花を咲かせ続けています。

 きびしい冬の寒さのただなかで、こうした美しい花を咲かせ、ほのかな香りを周囲に漂わせていること、それは、人間にもあることだとわかります。神への信仰にかたく立ち、重いからだの障害や病気、あるいは当時の社会のおそろしい迫害にもかかわらず、信仰ゆえのうるわしい心を与えられた人たちを私たちは書物などによって知らされています。そのような魂は、寒さきびしいなかに咲く梅のようなものです。この紅梅のような樹木も、神へのまなざしをもって見るとき、ひとつの泉となってくれます。 

人間は心のなかにしばしば純粋ではない心が生じるものですが、こうした自然の草木はいっさいの汚れを感じさせないものがあります。それは神の心そのものを映し出しているようです。こうした自然からもあふれてくる清いものを感じるとき、私たちは神のうちにあらたな泉を見いだしたという実感を与えられるのです。 内容・もくじへ戻る。

20040126.jpgウメおよび拡大ページへのリンクボタン。

ウメ

徳島県小松島市 わが家の梅です。2004.1.24

 .わが家にはウメの木が数本あります。そのなかで、この木は一番はやく咲き始めます。このような自然の美しさは、心して見るならその背後に見えざる創造主の御手が浮かんできます。梅の花は、そのかすかな香りと、花やつぼみの形、色、そして厳しい冬のただなかに初々しい花を咲かせるというところが、古くから人々の心に特別な引きつける力を持ってきました。それは、万葉集に114首もの歌が詠まれていることからもうかがえます。梅は、このように花そのものの美しさや汚れなき雰囲気とそのほのかな香りなどのゆえに、好まれていますが、他方、その実も梅干しや梅酒などに用いられ、大きな役割をもっています。

梅はヨーロッパやアメリカにはなく、古い時代に中国からわたってきたとされています。  内容・もくじへ戻る。

カラタチバナJPG写真「クリックで拡大ページ」へジャンプします。

カラタチバナ わが家(徳島県小松島市) 2004110

 このカラタチバナという、小さな木は、もう20年ほども以前に、低い山で野生を見つけて、その種を採取して蒔いておいたら、このような株となって、毎年実をつけています。私がこの植物を野生状態で見つけたのは、わずかにこの一度だけです。石川県などでは、群生しているところがあり、その写真も見たことがありますが、徳島県ではそのようなところはないようです。 センリョウや、マンリョウは有名ですが、このカラタチバナはほとんど知られていないものです。しかし、晩秋から冬の花のほとんど見られない時期にこのように、冬中赤い実をつけて私たちの目を楽しませてくれます。 実をつけるというのは、なにか心なごむものがあります。

その植物が成長し、花をつけ、そして結実するまでに場合によっては長い年月を要するものもあります。実をつけはじめると毎年実を結び続けます。そしてその実がまた新しい植物となって増えていきます。人間もこうしたよき実を結ぶことができるということが、聖書に記されています。よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(新約聖書 ヨハネ福音書1224) 内容・もくじへ戻る。